日記・コラム・つぶやき

画像を加工する

撮影には OLYMPUS デジタルカメラ キャメディア C-770 Ultra Zoom が頼りになった。しかし、印刷するには補正と修正を必要とした。


いい色|いい色工房|お試し版|きれいにする|写真を準備 で薄暗い写真がいくらか改善された。


Adobe Photoshop Elements で
「明るさの偏りを補正する|スポイトツールを使って明るさを補正する」
および
「色相、彩度、明度を調整して画像の色を変更する|特定の色の色相や彩度、明度を変更する」(マゼンタ系)を施した。


ニコニコソフト: ■ 証明写真をつくろう! で作った画像ファイルをデジカメ経由でxDピクチャーカードに入れた。


セブン-イレブン・ジャパンのマルチコピーデジカメプリントサービスを利用した。

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いいかげんさと付き合うこと

t12の端材を初めとしてそれまでt13のファルカタ集成材を前提に設計していた。行きつけのホームセンターでt9のパイン集成材を目にして、初めと同じ衝動を覚え、コンパクト化にトライする気になった。

組み立ててみると背板が安定していなく、下に支えが要ることが分かった。回転軸に竹串を用いることを決めたのはその翌日である。側板のバカ穴をφ3.2からφ4.5に拡げて正規の寸法位置でねじ止めすると押え板と天板を平行にすることができた。

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ある前提

「いざ」というときに、(紙を)すぐ取り出せることが肝要である。それが静かであることの次に位置する。切り易さ、清潔さ、切れ端の美しさの前に置くべきことが見つかった。

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紙を切る

紙を切るには、トリガーさえあれば切れると思った。始めから終わりまで同じ調子で切る必要はなく、切り込みを入れて引っ張るだけで切ることができる。どの程度確実に、またきれいに切れるかに関心が移った。

片手で操作できれば完了となる。

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ケーブルテレビの功罪

8月1日からCATVが導入された。FM放送は7局に限定されており、
FM・ブルー湘南、
埼玉県FM NACK 5、
NHK・FM 千葉、
が聴けなくなった。
家人から
InterFM
が聴けなくなったと聞いて影響は少なくないと感じた。トランジスタラジオで選局するしかないが、別途アンテナを用意することもなくはない。

「放送大学」という局が聴けるようになり、音声を聴く分には都合が良い。トゥイーターのトーンコントロール調整に使った。

CATV導入前までデジタルチューナーやSTBの購入を検討していたが、そういう必要を感じなくなった。それ以上画質が向上すると眼が疲れる気がする。

デジタル化が本番化すると、番組録画予約など、更に混乱が生じることは明らかである。テレビの買い替えの補助もなく、余計な出費を強いている現実を誰も非難していないのは奇妙である。

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ピエゾツイーター

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トゥイーターが欲しくなり、コンデンサー型のピエゾツイーターを購入した。ネットワークを気にしなくて済むこと、圧電素子であること、エキスポネンシャルホーンが付いていること、安価であること、が動機である。型番から

3-1/2" Wide Dispersion Piezo Horn Tweeter Round

  *Similar to KSN1038A
  *Power handling: 60 watts RMS/80 watts max
  *Frequency response: 3,500-28,000 Hz
  *SPL: 94 dB
  *Dimensions: A: 3-7/8", B: 2-3/4", C: 2-1/4".

であることが分かった。

L字形の木のスタンド(t17)を作り、フロントマウントで組み付けてからホーンの背面にエアコンパテを充填した。徒に汚れないようラップフィルムを宛がった。なお、樹脂製開口部にゆがみがあるので座金をスペーサー代わりに用いた。ワニ口クリップで並列接続した。

音楽信号のないときのノイズが認められるが、通常のリスニングポジションでは無音に近い。

トゥイーター単独で楽音が聴こえない曲がある。高価なシンバルは華々しい音がするが、シンバルの音が存在するだけでよいこともある。私の感想はそういう状態である。

(追記:
その後、プレゼンス感が欲しくて、ハイパスフィルターを追加した。
トゥイーターの位相は逆相にした。
トゥイーターのマイナス側のコードに容量4.7μFのフィルムコンデンサーを接続した。
奥行きが感じられるようになった。ということは、鮮明になり、解像度が増したということか。)

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一つの参考値

「キャビネットのプロポーション(タテ・ヨコ比)は、互いに割り切れない値をとるのが基本で、たとえば1対1・3対1・7だとか、1対1・6対2・5などの比率をとります」(瀬川冬樹著 オーディオABC 上巻 第4章 スピーカーの研究 キャビネットの役割 C 密閉型)

幅x高さx奥行と見るべきだろう。それぞれ、1:1.3:1.3×1.3、1:1.6:1.6×1.6としているようだから、正方形に近い1.3や黄金比を用いているようだ。密閉型を作る場合、必要な内容積を上記の比率で割れば簡単に決まることになる。ただし、十分な費用と設置スペースが要る。

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ペーパーホルダー仮設壁面の造作

テレビ朝日のドラマ「刑事一代」の第一部と第二部を録画して観た。居間の鴨居の隅に三角コーナーが作られていた。床上が邪魔にならず、必要なものを置くことができる。神棚もそれに類している。床上の三点を支持すれば、宙空に物が固定できる。そういう映像がヒントになった。

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台所マットの固定

台所マットと吸盤

マットは知らない内に移動する。マジックテープで固定したが、粘着材に勝る力が生じていた。吸盤の力と比較してみたくなった。

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Ecoグッズ

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作ってはみたが、余りにも大きいので、テーブル上の邪魔になるらしく、折り畳んで捨てられるところを拾ってきた。取り外したねじを一時的に入れて使ったことがある。

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エンクロージャー『300×4°』

Photo

こんなエンクロージャーを作った。2回以上折り曲げているため共鳴菅型とは言えないので、音響迷路型と言うしかない。テーパ角は4°である。

□300×t12の側板を使っているが、□250の板があればそれにしたかった。それ以外はt13のファルカタ集成材である。すべての板をt15にした方が作りやすく振動し難いと思われる。予算に余裕があれば、カットサービスを利用したい。余計なことに煩わされることが無くなる。

スピーカーユニットの寸法を基準に設計をした。□250ではまとまりが付かなかった。4°より下の角度でも同じくまとまらなかった。

作っている者の思い込みだろうが、気に入っていなかったCDを初めて最後まで聴いた。市販のスピーカーと比べてどこが優れているのかと聞かれると熱意が冷めるが。これの前に作ったバックローデッドホーン型は廃却扱いとした。それより良いということか。

音は暗くも冷たくも無く、豊かな方である。忠実に再生しているというよりは、ある脚色が為されているように感じる。その味わいが魅力であると思われる。ライブ感のようなものか。φ57のユニットを用いている。バッフル面は大きくは取っていないので、そこから音が出ているように聴こえなくて良い。しかし、これもフロントローデッドホーンを付けている。

尚、折り曲げ箇所に可能な限り適宜なRを付け、背面からの音の濁りを緩和した。

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バックローデッドホーンから音響迷路型へ

無理に作ったバックローデッドホーンは、空気室が狭いためか音が割れた。開口部からの音が耳を疲れ易くしている。小さく作ったため、総じてユニットに合っていないようだ。

音響迷路型の箱を一つだけ作って、LとRに置き換えてみた。最初、開口部からの素直な音に感心したが、低音は強調されてはいなかった。スピーカーユニット前面から出る音に奥行きややさしさが感じられる。これは、作ってみないと分からないことである。

エンクロージャーとはよく言ったものである。ユニットを最大限良くしようとエンクロージャーがバックアップしている。遅ればせながら、同じものをもう一つ作ることにした。

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水ぬるむ頃

八重桜が咲いた。しばらく歩くと、薄桃色の花は咲き遅れの染井吉野のように一瞬見間違えられた。時間は酷薄に思われるが、花の周期は狂いようがない。つつじの季節ももうすぐである。新年の始めに手向けた花は瑞々しかった。花を手近に引き寄せて、故人は余った時間を楽しく過ごそうとした。

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目的。

「いつも誰か他人が何かすることにだけ期待しているんだ。何でもいいからどこかで本番することを考えた方がいい」(ビートたけし著『裸の王様』p.89)

現実に裏打ちされた内容の中で、この件の頁に栞を挟んだ。対岸へ渡るには舟が要るのだと分かった。泳いで行ってもいいのだろう。手段を意識することなしに実現できるもの。

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眼鏡の出番

最近購入した近用眼鏡は拡大鏡であるので、着けたまま次の行動に移ることが出来ない。

遠近両用眼鏡で近くを見るのが辛くなってきた。自宅から程近い眼鏡店へ行って、現在の自分の眼を測って貰った。右眼が少し度が進んでいるが、眼鏡を改めるには及ばないとの結果を得た。

診断は自分が感じている状態の急所を突いており、信頼することが出来た。眼鏡を現在の視力に正確に合わせると、却って近くの像が迫ってしまい、階段の昇降に支障をきたすようだ。通常、遠近両用眼鏡はそのことを考慮してぴったりにはしていないとの事情を知った。耳から入る音楽の音も明瞭であると聴き疲れがすることと通じるものを感じた。ぴったりの度とそれとの中間の度でテストをしてみた。眼鏡の装着感を割り引けばどれも活字を読むには優しいように感じた。

家へ帰ってから、遠近両用眼鏡であらためて足元を見た。なるほど違和感がない。高齢に至った人の眼鏡は唯一の眼鏡で用が足りることはなく、いくつかの眼鏡を使い分ける必要がある。眼自体は緩慢または急激に自由度を削がれている。その変化が最も自覚的に感じられる身体症状である。

現状を改善する手立てを一つ失ったが、それまで取っていた自分のやり方が間違ってはいなかったことを確認した。

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フロントローデッドホーンからバックローデッドホーンへ

コンビネーションホーン型

ハセヒロオーディオの試聴会が3/21にあった。小さいスピーカーユニットでもバックローデッドホーンを構成することが出来ると知って、自分なりに作ってみることにした。

水を注ぐとカスケード状に流れる方式の段違いのホーンである。空気室に十分な大きさが取れなかったが、余り大きな因子と思わずに進めた。完璧なものを目指している訳ではなく、自作でも曲りなりなものができるか、というのが課題である。

スピーカーユニットの背面から出る音であるから、直接耳に届く音ではなく、音道を通った籠もった音である。その出口を塞ぐと、密閉箱になるが、途端にボリュームの無くなった音になる。ボーボーとした低音でも、あるとないとではホールの響きの良し悪しと同様の印象を受ける。

バスレフはそれの小さい規模であると認識した。段違い方式は窮余の策であると分かっているが、純粋なホーンを作ることができればバックローデッドホーンをもっと見直すことができるだろう。

フロントローデッドホーンと組み合わせてのバックローデッドホーンである。スピーカーユニットの前面から出てくる音だけ聴きたいが、それだと低音が極端に少なくなる。口径の大きなフルレンジユニットを用いることが出来ない場合はバックローデッドホーンにすると良いのだろう。動きの速い低音は雑音のように感じ、不快に思われるかも知れない。

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BOSEのドライバーユニット

BOSEのパワーアンプ内臓スピーカー MM-1からドライバーユニットを取り出すために手間隙を掛けてしまった。

最初、適合しないと知りながら、軸長の長いドライバー(Anex No.7700-F スリットパワードライバー (+)1×150mm マグネット付)を買った。ねじは十字でないことを知っていたが、トルクスのビットを取り付けるアタッチメントがあれば使えるだろうと思って買ってしまった。トルクスねじのドライバーで軸の長いものはなかなか無い。

次に、ホームセンターへスピーカー本体を持参しての長考の結果、VESSEL B-5400TX トルクス 刃先T10H 軸長80 を買った。柄の軸側を現場合わせでヤスリで削って、スピーカーの分解を達成することが出来た。

取り外したドライバーユニットをスピーカーシステム SX-300 の高音用スピーカーの穴に取り付け、厚紙で作った双曲線関数ホーンを貼り付けた。

BOSEのMM-1の音はくぐもっていて好きではない。それはBOSEの味付けであるからであり、その要素を取り除けば普通のスピーカーであることは予想できなくはなかった。5.7cmフルレンジドライバーの特性は不明だが、取り付け場所を変えれば聴く興味が湧いてくる。

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Don't Worry Be Happy

今週は良いことがあった。月曜日朝のごみ出しの帰りに郵便受けを見ると、私宛の郵便物があった。『Musabi Nikki』が入っていた。後日、HPを見て実感を得た。読了後に感想を加えてお礼を認めようと思う。

図書館で予約した『自作スピーカー12選』を受け取りに行った帰りに、take out free とされている 450×272×t21 のシナ合板2枚を見付けた。言い知れない気持ちで持ち帰ることにした。

「気にするなよ、(そのうち)良い事あるさ」

「心配しなくていいよ。気持ちを明るくしていようね」

「心配するな、どうにかなるさ」

「心配するなって!!、気を大きくもてよっ!!」

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マイ・ガレージ・キット

八角形のコーン

計算の仕方が分からないので、やむなくこんなものを作った。同じ部品であれば、変則的な寸法の入り込む余地はない。ねじれた面を平面に展開することなどできないものか。

欲しいのは形状でなく、機能なのでこれで卒業とする。音がこもることはない。微細な音を拾い上げてくれる。それは一つの個性である。

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双曲線関数ホーン

双曲線関数ホーン

見栄えが悪いのか、音が籠もるような気がしたためか、どうもしっくりこないので双曲線関数ホーンに変更した。先入観が為せる業か。

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楕円錐ホーンを作る

楕円錐ホーン

材料

  • 牛乳パック
  • ホチキス
  • セロテープ
  • Jw_cad
  • Microsoft Excel

台所のスピーカーの位置を遠ざけるために、上面と底面が抜けた角錐台(高さh)をホーンとしてスピーカーユニットに宛がっていたらスロート部のデッドスペースが気になった。

スロート部の断面形状を円(半径b)とし、開口部のそれを楕円(長軸半径a、短軸半径b)にした双曲線関数ホーンの断面を六つサンプリングしてみたが、部品が多い割には効果が得られないのではないかと思われた。

ホーンそのものを一つの部品で作ることを考えていたら、高校数学の窓 質問「楕円錐の展開図」が目に留まった。これならスロート部を円にすることができる。

信頼できる材料が購入できないので牛乳パックで作ることにした。

楕円錐の高さを決めるために高精度計算サイト 楕円の面積を利用してスロート部に準じて開口部の円相当径を求めた。

スロート部と開口部に断面形状を設定するためのフランジを設けた。

左右のスピーカーから息遣いに似た音が聴こえてくる。

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成り行きのスピーカーキャビネット

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スリットダクトはL・R共左側面に開いている。フロントにした場合、サブバッフルにすることを思い付かなかっただろう。そしてバッフル板に溝を彫り、スピーカーケーブルを通すことも。

スピーカーの左側に寄ると低音は豊穣に感じられる。ダクトが上面開口の「小型バスレフ・ブックシェルフ BS-84」を雛形にしているが、それはどういう風に聴こえるのだろう。音場を操作しての作品なのだろうか。

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スピーカーユニットとエンクロージャー

湿気の多い部屋に置いていた自作スピーカーのコーンエッジのウレタンの表面に剥がれと裏まで達する割れが生じていた。症状の重い左側からの音が小さい。ほかのスピーカーと音を比べているうち、エンクロージャーに欠陥があるように思われてきた。スピーカーユニットも大事だが、エンクロージャーもそれと同じ位大事である。そういう当たり前のことに気が付いた。液体ゴムで補修することも考えたが、貧弱なエンクロージャーごと、捨ててもよいと思った。

次は、有り合わせの材料で作った台所のスピーカーのことである。

最初はシナ合板で、二回目はMDF合板で作ることにした。価格が安く質量が大きいことが動機である。どの面ものっぺらなMDF合板は、積層されて表情豊かなシナ合板に比べて厚さが小さく見えた。雛形のサイズを変更して、さらに残材を残さないよう、板取りに時間を費やした。背面からの音の処理に真面目に取り組むのは難しいことだと思った。取り敢えず、ダンボール箱からの振動が感じられなくなることが目標である。

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原稿用紙に合わせる

続けて二度、800字前後の原稿を書く機会があった。字数が原稿用紙を基準にしているようなので、原稿作成支援ソフトウェア「Genko-Creator(原稿クリエーター)」を用いて印刷を行った。ベタの横書きと、原稿用紙のイメージとの間を何度か往復して作り上げる必要があった。フリーなスタイルで書いていると、原稿用紙が支配する文字の配置に合わせるのに手数が要った。原稿用紙イメージで書いていければそういう無駄は省けたかも知れない。

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青い鳥。

みなとみらい

新春の奈良の散策を止めて久しい。それに代わるものを見つけた。時代は下っているが、それでも懐かしい。

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昼夜逆転の生活

休憩は、
午前0時55分(15分間)、
午前1時55分(45分間、賃金支給対象外)および
午前6時0分(10分間)
に設けられていた。

単調な作業なので、適度な息抜きがないとへばってしまう。区切ることで心理的なめりはりを付けているようだ。

私語も無く、仕事上の争いも無く、人間コンベヤーとも言えよう。配送業者の喧騒とは対照的な趣であった。

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ヒヤシンスの眠り

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10月30日に水栽培を始めたヒヤシンスから芽が出始めた。兆し、日の目を見る、など、外界を窺わせる言葉が頭に浮かんだ。意識があるということは常に外部と連絡を取っているということか。眠っているとはそうでないということ。ヒヤシンスは眠りから覚めた、と言っても可笑しくない。

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昼の睡眠

アイマスク(株式会社アスカム 「立体 癒しのアイマスク」)と耳せん(スペリアン プロテクション 「SMF-30-AM1 スマートフィット」)が必要であった。変則的な生活スケジュールは下記右側のように定常化した。


  • 朝食 | ←
  •     | 入浴
  •     | 睡眠(11:00~18:00)

  • 昼食 | 

  • 夕食 | ←
  • 入浴 | 
  • 睡眠 | 

  •     | 夜食(3:00)

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クリスマス仕度

パーツ

葉山の一色海岸界隈で拾い集めたパーツである。一部に塗装を施したが、発色は芳しくない。土台には天麩羅鍋の油切り用金網を用いることにした。

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真夜中の試験電波

寝静まった不明な時刻にヘッドホンを耳に当ててFMのスイッチを入れると、アナウンスの後に音楽が流れた。FMヨコハマ(84.7MHz)である。

NHKFMでは左右のスピーカーの出力を確認させる放送を聴いたことがあり、FM・ブルー湘南(78.5MHz)では左のスピーカーだけ出力する時間がある。

「ただいま、マイクのテスト中」という発声と同じく、通常の音楽を流して試験をしている。終わるまで聴いている訳にもいかないのでOFFスイッチを押したが、試験電波ということばだけが耳に残った。

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作品としての要件

神奈川県立近代美術館葉山館

画架

作品は雰囲気を要求する。ただ壁に立て掛けただけでは自立できない。宙に浮かしたり、境界を設けたりしないと落ち着かない代物である。それが作品であると言われれば、それに従うしかない。

上の写真は、神奈川県立近代美術館葉山館のロビーから見たもの。下の写真は、ばらした椅子の側板に透明な段違いのプラスチック板を切って貼り付けたもの。


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指文字の「ね」

水栽培

ヒヤシンスの球根を水で栽培し始めてから5日経っている。根がいち早く出たのは右の方で、左の方は変化がなかった。根が出始めた頃から黴のようなものが下半分に現れたので、水を減らした。こういう面倒が得意なほうではない。

二つ揃って根が生えると、手話で使う指文字の「ね」の形を思い出させた。五本の指を伸ばして下に向ける。ただそれだけで「ね」を分かって貰えるところがいいような気がするが、指文字は科学的な成り立ちではないことに厄介さを覚えている。


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読み取る力

「障害者のコミュニケーションの手段は、手話だけに限るのではありません。口話、読話、筆談、手話、指文字、空書など、いろいろな方法があります」(丸山浩路『百万人の手話教室 ②巻』)

映画『コラテラル・ダメージ』の中で、テロリストの女首領が偽装した息子に付いて来ないように指図したボディ・ランゲージが展開を誘う契機であった。

娘の文化祭で指文字の写真を見てから、手話への具体的な興味を引き出された。コミュニケートする意志があればこそ成り立つ業であることに気が付いたのは後であった。

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言えない状況

「忙しい中をお集まり下さり、ありがとうございます。今日は、8時半頃に自宅を出ました。途中、殆ど瞑目していまして、列車に飛び乗るように相次いで亡くなった二人の三回忌を行うことができ、月日は待ってくれないものだと感じたところです」

慌しい「ほくほく線」の乗換えは問題を残していた。ただ移動するだけの旅にも一つのカンフルを提供する。

車中で作った挨拶は、最初のセンテンスを唱えるだけで止すことにした。自分に対する挨拶を間違って他人に送って、収拾する術を用意していなかったので。時間の普遍性を酒席で言う愚を避けたことになる。

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トイレットペーパーホルダーをどうにかする

カッター

トイレットペーパーが少なくなったときに切れ味が低下したので、カッターの位置をもう少し奥にした。カッターの高さを増し、ガイドを取り外した。材料は、A4ファイルケースの止め具箇所を長さ121mmに切ったもの。レコードプレーヤーを上から見たイメージになった。ただし、これは一回限り。


更新順索引

  1. 住居の品格
  2. トイレで静かなペーパーホルダーを作る
  3. トイレットペーパーの端をとりやすくする
  4. その後のペーパーホルダー
  5. ペーパーホルダーのカッター
  6. トイレットペーパーホルダーをどうにかする

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長押とフックとクリップと

フック


クリップ


紙管を潰して扁平にした押さえ棒、透明なクリップおよびS字フックを用いて長押にケント紙を吊り下げていた。作品だけを目にするには、それらの存在は邪魔に感じられる。

プラシートを切って簡易なフックを作った。孔を開けて、細長い棒を通し、それにクリップなどでケント紙を吊り下げるつもりだった。

仕上がり寸法がきつめになったらしく、長押とフックの間にケント紙を挟んでも十分押さえが効くことを発見し、言うことがなくなった。

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遠心力と求心力?

インタビュー記事「企画力は訓練によって身に付けることができる」(ウィズ社長 横井昭裕)を読んだ。
「20歳前後の独身のOLをターゲットにしていたのですが、実際には60歳、70歳のお母さん方に圧倒的な人気を得ることになった」。
「若い世代をターゲットにしたところが、逆にシルバ-世代に受け入れられる要因」を、「人は必ず背伸びをする」という表現で言い当てている。

  1. 「小学生の子なら中学生の本を、中学生なら高校生の本を読みたがる。30~40歳くらいまでは、上に背伸びをする」
  2. 「ところがそれを超えると、今度は逆に下に背伸びをする。つまり実際の年齢よりも若い世代のものが欲しくなる」

人口の年齢構造を分析する上で、0~14歳を年少人口、15~64歳を生産年齢人口、65歳以上を老年人口とする3区分が用いられる。(Wikipedia)

少子高齢化社会の区分の上に重ねてみると、個々人の生がうごめいている気配を感じる。

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ガスコンロも寿命が来る

点火スイッチ

ビルトインガスコンロ RBG-30B のハイカロリーのバーナーが点火しなくなってから日が経っている。標準のバーナーを点火後にスパークが止まらなくなり、買い替えを催促しに来たように思われた。

乾電池を電池ケースから外すとスパークは止まった。乾電池のマイナス側にスイッチ(埋込押釦B(片切)WN 5401KP)を付けてその場を凌ぐことにした。スイッチのボタンを押したまま、器具栓つまみを押しながら回す。こういうシーケンスが14年経つと機能しなくなる。

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三回忌を祝う

平成20年7月8日付の「ねんきん特別便」が妻のところに届けられた。妻の姓は結婚後変わったが、もう一度戻った経緯がある。第一子が生まれる段になり、私の姓を妻の旧姓に変えたからである。
行政サービスコーナーで入手した戸籍謄本には、婚姻日/昭和63年6月3日、養子縁組日/平成2年6月11日とあり、この件は片付いている。

妻の父が、素直に養子手続きを行わない私を見かねて夜行列車に乗って訪ねて来たことがある。それでも私は同意せず、その場を避けた。その父の三回忌が来月催される。

最初、簡略な形式で執り行うよう話されていたが、準備に入る頃には手を抜けなくなったらしい。養母は引き出物の飾り盆を求めに木彫りの町へ走った。私は父とは起居をともにしたとは言えない立場であるので、その事情を理解することができない。あるいはまだ現世に囚われている身に手を焼いているからかも知れない。

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冷蔵庫取っ手のデザイン

取っ手

吸盤フック H16 No.3(吸盤サイズ約φ56、荷重2.5kg以内 大創産業)を新しく購入した冷蔵庫のドアに付けた。フックはニッパーで取り去った。断面19×7、長さ215程の白色の取っ手が出来上がった。

冷蔵庫売り場で取っ手の付いた機種を見てから、取っ手のないドアの不自由さを解消したいと思っていた。

昨日見た改装ビルのガラスドアには、左と右に三本の取っ手がガラス面全体に亘って付いていた。

ドアは引くこともあり、押すこともある。それが一つの取っ手で行えるならばそれに越したことはない。

追記
取っ手の片側の吸盤を支持する軸が折れたので「ミニタオル掛け」(吸盤、20cm、耐荷重量1kgまで。E001-276)に取替えた。手で触れる部分に紙筒を当て緩衝材を詰めた。

新しい取っ手

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ペーパーホルダーのカッター

カッターとガイド

またしてもトイレのペーパーホルダーである。
トイレットペーパーを取替えるときには、カバーの先端は円周上にはない筈である。そうであれば、使い始めのときにやや半径を小さくしておけば良いと思い、直径14mmの四分円の断面を持つ木材を長さ126mmに切り、カバー先端に貼り付けた。

四分円の直角の角がトイレットペーパーに当たっている。5mmほど内側に引っ込んだ形になっている。直角の角にカバーの重さが加わるため、スムースにペーパーが繰出されない。そこでワックスを塗った。終わってみると、何よりもペーパーの切れが良くなった。

カバーは、ペーパーを切るよりもカバーであることを優先しているようだ。カバーであることを止めて、それがカッターであれば歓迎されることだろう。

追記)
カッターのほかにカバーを押し上げるガイドを付けた。手がペーパーの端を掴もうとする際、カバーは押し上げられた方が良い。


更新順索引
  1. 住居の品格
  2. トイレで静かなペーパーホルダーを作る
  3. トイレットペーパーの端をとりやすくする
  4. その後のペーパーホルダー
  5. ペーパーホルダーのカッター
  6. トイレットペーパーホルダーをどうにかする

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ミニタワーファンの「POWER」スイッチに惹かれて

敷板

ミニタワーファン AFT-430M を買った。「弱風」でもかなりの風量があり、風切り音が耳に付く。「SPEED」を増していくと振動音がそれに加わる。ベース板が華奢であるために起こることが分かった。提灯のように吊るしたり、錘を載せることを考え付いたが、善後策として次の方法を取った。

  • 念のためにゴム足を取り除く。
  • ゴム足箇所に孔を開けたプラシート →
     版画板 →
     メイクスポンジ(4箇所) →
     クリアファイル
     の順に挟んだ敷板を作った。

制振を行うために、ばね定数の小さいばね要素を必要とした。「TIMER」が付いているが眠れないと思う。「SWING」は、排出孔部分だけを振るようにすればよいのではないかと思った。

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生産の終わらない部品たち

埋込スイッチB(片切)を買ってきた。これで二度目である。スプリングが座屈して電源のON/OFFが確定し難い。構造上問題があると言うしかない。これは「20世紀式」と今では分類されている。共通寸法で改善されたものがあればとても良いことだと思われる。

電気カミソリの網刃を外すと外れてはならない部品が外れた。網刃が共通の型は今では市販されていない。欠陥を持っているが、長い間使って来られたものである。

取替部品だけが今でも流通している現象に出くわした。オールドファッションでもよいので中身を改善してもらえればそれに越したことはない。

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台所のデスクファン

デスクファン

デスクファン YTF-131 を買った。「弱風」では音楽が聴ける。台所の対角方向に向けて設置した。

時計は達磨落しの上に置いていた。木の丸棒を所定の長さに切り、シリコンのゴム板をクッションにして鉛直方向に突っ張らせた。フックをねじ止めして引っ掛けることにした。

外乱はデスクファンだが、考えを変えるきっかけになる。

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Tシャツ転写紙

諸芸・娯楽関連の書籍を読んでいて、Tシャツのプリントに用いるTシャツ転写紙専用のプリンタがあることを知った。2002年4月発行の書籍なので、事情は今とかなり異なっている。回りくどい言い方をしたが、Canon PIXUS iP4200 の専用紙の項目に「Tシャツ転写紙」がある。

プリントTシャツを好まない人は思いも付かないことである。家族Tシャツを作ろうかと言ってみたが、身内に賛成者はいなかった。クラスTシャツは増える一方である。特別な思い入れをこれ以上背負いたくないのだろう。

Tシャツで表現できることは団結しかなく、そういうものから遠い人は興味を持たない。Tシャツ転写紙の出来上がりへの興味が薄らいでいく。

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時代の捉え方

国勢調査の質問項目に次の問いがあった。

■あなたと夫の家事や育児について

  1. 夫は、家事にどの程度参加しているか
    • ゴミ出し
    • 日常の買い物
    • 部屋の掃除
    • 風呂洗い
    • 洗濯(物干し・取入れを含む)
    • 炊事
    • 食後の片付け

  2. 夫は、3歳までの子供の育児にどの程度参加しているか
    • 遊び相手をする
    • 風呂に入れる
    • 食事をさせる
    • 寝かしつける
    • 泣いた子をあやす
    • おむつを替える
    • 保育園などの送り迎え

(2008年社会保障・人口問題基本調査  第4回全国家庭動向調査)

家計簿をつけるなどの項目がないことにやや遅れている感があった。夫は補足的なことしかやらなくてよいわけ ではないだろうに。
逆に、母の領分である所作を求めている風に違和感を覚えた。育児というものを区分けすることに意味があるのかどうかよく 分らない。
教育・進路について介入しているかどうかも気になるところだ。

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洗面所その後

Tray1

洗面所の蛇口近傍に零れ落ちる水を受けるトレイを作った。ポリプロピレンのA4ファイルケース(240×310×33)の片側を上の図のようにカットした。上半分は上辺左右に足を付けて手前からそのまま蛇口に向かって差し込み、下半分は上下反転して逆から差し込む。瓦屋根のように水は手前に流れ落ち、排水口へ向かってくれる。A4ファイルよりもB4ファイルが好ましいが当座はこれで様子を見る。

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洗面台の水溜り

洗面台の天板の水平が取れていなくて鏡の左下隅に水が溜まっている。腐って下に浸透したとも聞いた。蛇口の周辺に落ちた水を受ける樹脂製の板を取り付けたことがある。効果は完全でなく、汚れたり、煩わしく感じたりでその後取り外した。

鏡の左下隅に絞ったタオルを置いてメンテナンスを繰り返している。そこに水が溜まらないようにすることを思い付き、樹脂製のファイルカバーを加工して堰を設けた。L字形断面の端から端までをスポンジ両面テープで接着した。

水が溜まらないようにするのでなく、水が溜まっても気にならないようにすればよいのであると思うまで随分長く掛かったことになる。

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ある教訓

┏ ウォーミング
・アップ
 ┓
休息 全速
┗ クーリング
・ダウン
 ┛

ウォーミング・アップから始めて時計回りに手順を踏むのがよいらしい。若年の頃はクーリング・ダウンを抜かしても支障はなかったが、ある年齢に達すると不可欠なものになる。クーリング・ダウンをしないなら休息に入らないほうが安全である、と思って間違いはない。その年齢が分からないのが致命的ではある。起こってしまってからでは遅い! 今のうちから実行すべし。

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考え方を直す

今日は5月3日。新聞は取っていないが、私の誕生日、2月某日に郵便受けに投げ込まれた新聞を目にしている。【そのように考え始めてはいけない】という見出しが気になって控えていたものだ。『マクベス』からの引用であるらしい。サガンの小説にも引用されていると記されている。

後で近くの書店へ行き、文庫の棚を見回した。新潮文庫のほうがしっくり来る訳のように思われた。ランボオの詩を訳す人ではどのようになるのかと思った。サガンのほうは品数が少なく、全集か英訳本を探さないと見付からないだろうと思った。( 『LE GARDE DU COEUR』(優しい関係)であるのか )

海外作品の棚で、ドルリー・レーンを主人公とするエラリー・クイーンの一連の作品があった。私は鮎川信夫の訳で読んでいたことを再確認した。作品を受け取る主体を信用しようと思って帰ってきた。

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花を見に行く

Fuji


ここ最近過ごしやすい気候が続いている。藤棚にも穏やかな季節だ。

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台所は歌わない

Todana


調味料は分散している。塩はよく使うが、戸棚の中に置いて開け閉めを繰り返している。砂糖も一緒にしているので間違うこともあるようだ。昔は塩は甕の中に、砂糖は‥‥、覚えていない。容器を違えたほうがよい。

清掃を兼ねて整理整頓した。自分がしたことではないので、やった人の秩序を感じて写真に撮った。左下にゆで卵を二個置いた。破裂しないうちに手で剥いた。

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冷蔵庫を手入れしないと水が出てくる


冷蔵庫(NR-B17A)の野菜容器の手前にドアに沿って溝が設けられている。最近になってこの辺りと床に水が溜まるようになった。

取説を読んだが、その現象に関する記述は見付けられなかった。ただ冷蔵庫の後部にある蒸発皿の手入れを年一回程度行うように指示されていた。それを読んでもコの字に凹んだ壁にすっぽりと収めてある冷蔵庫を反転させることは用意ではないと思っただけであった。

また、周囲のすきまについては左右2cm以上、上部10cm以上取るように記載されている。通常は10cm程度開ける背面については特に開ける必要はないように書かれている。


思い立って、冷蔵庫を手前に引き出すと、冷蔵庫の背面と壁紙が煤けており、冷蔵庫の内外部と床上に埃が積もっていた。また、次の異状が見られた。

  • 粘着性のゴムが溶け落ちている
  • 蒸発皿の中央部の底面が破損して穴が二つ開いている(床上に染みが見られる)

冷蔵室の底部にノズルが出ており、ゴムキャップを取ると黒い残滓が付いている。下にボウルを当ててノズルの内部を竹串で突付くと水が流れ落ちてきた。

冷蔵庫は反転し易いようにキャスターを付けるべきであると思った次第である。

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私にもメディアが持てますか

ホームページを作りました
それはお粗末な代物でした
会場にはだれも来なかったと思います

そのうち、どこかへ飛んでしまいました
あとで探しにいったことを覚えています

ブログを用意して、記事を書き始めました
最初はだれも見なかったと思います

書くだけでなく、だれが読んだか見守ることを習い、
アンケートを取って、ようやく、読んでいる人の存在を知りました
今でもだれかが読んでいるのでしょう

けれど、このメディアには収益がありません
無駄に言葉を発するなかれ
私は考えました
メディアを通して、お金を手にすることはできないか

品物ありきの原則に引き戻されて
幻滅してしまいました
メールに毛が生えたようなものーー。

インターネットを利用する側から
真に利用する側へとうまく飛び移ることはできません

私にもインターネットメディアが持てますか?
それはどういう利用メディアですか?

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洗濯機のくもり止め

洗濯機が壊れて買いに走ったのはついこの間のことである。予兆はあったが、本体が踏ん張ってくれた。そしてついに力尽きたということである。人間にたとえると見事と言うほかない。私も洗濯機に見習いたい。

言いたかったのはこのことではない。次の洗濯機が特殊な洗い方をしており、内部を垣間見ることができる。温水を利用するとその窓が曇る。インターネットで検索して、界面活性剤を含む洗剤を塗ることのほかに、サランラップを貼るというのがあった。ラップを障子糊で貼り付けたり、さらにその上に糊を塗布したが良好といえるものにならなかった。素直に窓に糊を塗布したほうが良さそうに思われた。でんぷんはどういう働きをするのか知らないが、水分を吸収して水滴をつなげて欲しいと思っている。

追記)
糊は劣化して効力を失ったので、台所用合成洗剤(界面活性剤16%)に切替えた。

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散策の道

できないことを考えるより
できることを考えよう
そうしないとかなわない

目が見えなければ
聴くだけにしよう
木戸に立ちかけせし衣食住

ようやっと生きている
ばらばらになりそうな自分を
かき寄せてのみ込んでみた

下降するからだと上昇するたましい
キャンバス地を買って
自分の枠に張ってみた

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病中の音楽

耳の奥で'Great'を掻き鳴らし、現実に向き合う歌は音を感ずることでしかないと思った。

ことばの背後に音があり、その響きがイメージを形成している。「愛の終着駅」、「北国の春」。これらは強い訴求力を持って私に響いてきた。

音を裏切らないことばの羅列を形作って、望ましい歌を作ってみようと思っている。それは見えない音を迎え入れることばとなるはずである。

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その後のペーパーホルダー

片手だけでペーパーを切ることができるように、カッターを兼ねているカバーの上に乾電池を4本封筒に入れて両面テープで貼り付けた。切ったあと両手を使うのが普通であるから何の意味があるのか、と問われるかもしれない。

片手でペーパーを切ることがどういう意味を持つか知りたいからやってみるだけである。

ペーパーの端をあらかじめ分離することは、ペーパーの端を確実にとるという保証を与える。そしてそれはロールの外周面に刃を当ててペーパーを切るという複合処理を分離させるヒントを与えてくれた。通常見掛けるペーパーホルダーが完成形ではないことを教えてくれもする。ある面では機能の入り組んだ品物であるとも。

ペーパーを切ることに気が重くならないように、それだけは気を付けたい。


更新順索引

  1. 住居の品格
  2. トイレで静かなペーパーホルダーを作る
  3. トイレットペーパーの端をとりやすくする
  4. その後のペーパーホルダー
  5. ペーパーホルダーのカッター
  6. トイレットペーパーホルダーをどうにかする

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トイレットペーパーの端をとりやすくする

トイレットペーパーの端が取りにくく思われたのでこんなものを作った。

●材料

  • ゴム紐……長さ250以上
  • ストロー……長さ125
  • ラジオペンチ
  • 針金……クリップ程度の太さで長さは175ほど

●手順

  1. ストローに針金を通し、ストローの端で針金を直角に曲げた後、ゴム紐を通せる程度の輪を外側に作る。
  2. 二つの輪にゴム紐を通して紐同士を結ぶ。
  3. ペーパーホルダーの背面部に2.を掛ける。
  4. 2.を手前に引き、トイレットペーパーの端を通して通常通り手前に出す。

ペーパーは確実に分離され、静電気でくっつくことがなくなるため、フタの端で切るときに滑って切りにくく感じるかもしれない。

追記)
ペーパーの端が滑らないよう、分離する位置を下に移動した(下の写真)。

Img_1727_2
更新順索引
  1. 住居の品格
  2. トイレで静かなペーパーホルダーを作る
  3. トイレットペーパーの端をとりやすくする
  4. その後のペーパーホルダー
  5. ペーパーホルダーのカッター
  6. トイレットペーパーホルダーをどうにかする

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トイレで静かなペーパーホルダーを作る

Img_1725_4

ペーパーホルダーは静かな方がよいと誰もが思っている。そこで次の作業を試みた。

A.壁とペーパーホルダーの間にクッションを挟む

●材料

  • カッターナイフ
  • クラフトメモ用紙
  • メイクアップスポンジ
  • 細い針金(#26~28、長さ350)
  • 事務用パンチ
  • 千枚通し
  • 定規
  • 当て板または雑誌
  • 薄い樹脂板 0.6(t)×128(W)×115(H)
  • 両面テープ

●手順
樹脂板を下図のように加工する。

Photo

小さい孔の位置にペーパーホルダーを針金で取付ける。
樹脂板のペーパーホルダーとは反対側に両面テープでスポンジを貼付ける。
ペーパーホルダー取付位置に樹脂板を取り付ける。
紙を適宜に折り、ねじ、樹脂板(、スポンジ)を隠すように覆う。

B.芯棒の径を大きくする

●手順
キルト地を 105×L* に切る。(太目の)芯棒に両面テープを貼り、切った布を巻き付けて開かぬように両端を輪ゴムなどで止める。

 * L:芯棒がロールの孔を通過し、やや押し込み加減の大きさとなるような長さとする。

C.フックを固定する

●手順
フック付け根の隙間にボンド を塗布する。

 ※ 無溶剤形接着剤 ボンド サイレックス クリヤー コニシ(株)製


更新順索引
  1. 住居の品格
  2. トイレで静かなペーパーホルダーを作る
  3. トイレットペーパーの端をとりやすくする
  4. その後のペーパーホルダー
  5. ペーパーホルダーのカッター
  6. トイレットペーパーホルダーをどうにかする
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ターニングポイント

靴 いす 布団 まくら
身体を受け止めるもの

ばらばらになりそうな自分を
辛うじて掻き寄せて起き上がってみた

意識だけでは生きていられない
受け止める自分というものが必要か

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師走家内作業

畳の部屋の障子紙を張り替えた。


紙を湿らせることなくむしり取る。


障子紙をロールのまま幅 775 (773+2) mm にする。(着色テープを貼り、それに沿ってカットする)


枠にロールを転がし、紙の張れる長さ + 2 mm に印を付けてカットする。


ガイド付きの障子のり (例:㈱大創産業 D-036 のり No.33 ) を用いて障子紙を張っていく。

1の作業が最も時間を要する。2は根気よくやるしかない。3、4は気分の好い作業である。

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今に見る暖房器具の選び方

季節家電の購入に随分と手間取ってしまった。ファンヒーター、オイルヒーター、カーボンヒーター、と選択の矛先は移っていった。静音であること、速暖であること、電力消費が少ないこと。そのような条件を提示して、グレード別に内容を表示してくれたらどんなにか楽であろう。

実物を見に行っても購入に繋がるものはなかった。費用対効果を実感させるものがない。自分の判断基準が見つけられないとき、インターネット上の口コミはとても安心できるものとなった。身の回りの状況を交えて語られる推薦の言葉は、自分の迷いを打ち消すに十分であった。口コミが多ければ多いほど購入動機は強くなる。

注文受付のステップが正常に進まないなど、システムが活動状態にないと思われるものがあった。応答の速いシステムは、やはり感心させられるものであった。ネットショップは実店舗と同等またはそれ以上の即応体制が必要だ。価格にとらわれて、時間を空費しないようにと、口コミの行間は言っていた。

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抵抗する力

子供がいつの間にか大きくなっていることは前から知っていた。体重が増えたことだけでなく、顔までが変化している。自分の通った道を子を見て初めて知るようになる。実は大きくなっただけでなく、力も強くなっていることを知ったのは昨日のことである。「ノー」と言う代わりに抵抗する力でそれを表現していた。それはどのようなノーより確かなものだと思い知った。

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赤レンガ倉庫遠景

横浜の赤レンガパークは奈良の若草山に似てきた。 赤レンガ倉庫は、ドレスアップする前はひっそりとして昔を彷彿とさせるコーナーであったが、今、人々の賑わいが戻った建物に変貌した。建物の周囲を経巡ることのできる幸せを思うしかない。

赤レンガ倉庫

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郵政民営化という変化

粗大ごみ収集シールを求めに郵便局へ行ってきた。受付番号の発行に区分表示があった。窓口がゆうちょ銀行と郵便局に分かれていた。案内の人に尋ねればよかったのだろうが、私はゆうちょ銀行で粗大ごみ収集シールを求めたことになる。

郵便局へ行けば窓口に応じて受け付けてくれる、という簡便性がグループ分けによって変化しているかもしれない。郵便局という通念が日本郵政グループ{郵便局、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命}に素直にマッピングされているか他人事ながら気になった。

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ごみ以上バザー未満

バザーに出す品物はないけれど、ごみに出す衣類はある――。十年以上着用の空いたスーツとジャケット、姉から譲り受けたオーバーコート、卒業式に用意した子供のドレス。母の作った浴衣やスキー用のセーターも要らなくなるかもしれない。

衣類はシチュエーションがないと、着ようと思っていても出番がない。似合う服と似合わなくなった服がタンスに混在している。似合わなくなったのは自分が変わったから、服自体が古くなったから。

写真に写っていた服というのがある。写真があるから捨ててもよい、というルールに則らないケース。写真の根拠を実物で残しておきたいという思いが湧いてきた。

こういうものはもう一度写真に撮ってから廃棄すればよいのだろうか。それとも自分がそのころに戻ればよいのだろうか。愛着のあるものも、ないものも、ひっくるめて着なくなったら捨ててしまおう。

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電話による判別システム

昨今は、申込みフォームに自分の手掛かり情報をインプットして送信すると、自動的にシステムが取り計らうことをしなくなったようだ。必ず、と言い切ってしまっては語弊が生ずるが、電話が掛かってきてYESかNOかを訊かれる。YESにして送信したのだから、そのように進めればよいものを、わざわざ流れを断ち切るかのように人の言葉が介入してくる。介入するときの理由は勝手なものだが、これは掴まえた客を値踏みして選別しているようだ。話を早く進めるという点においては双方了解であるが、いずれどちらかが矛盾を来たすことになる。むしろ、矛盾を早期に摘出する作業であるのかもしれない。そういう作業は自動システムにさせたくないことであるから、必然の行為なのだろう。しかしながら、その摘出作業をシステム化できないものだろうか。すべての情報を開示して、個々の条件に対するYES/NOを答えさせる。そうすれば、双方の時間と労力が一挙に削減されると私は思う。中途半端なメッセージだけで人の気を引き、途中で途絶えさせる手法は無駄以外の何ものでもない。YESかNOかと訊かれて人は適宜に判別している。

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キーワードアドバイスツールから見た時津風部屋継承

現役力士時津海が時津風部屋を継承した。
状況により不謹慎であるが、キーワードアドバイスツールで調べてみると次の結果を得た。(検索数 2007年 4月)

時津風↓
検索数     キーワード
482      時津風 部屋
112      時津風
40      時津風 おとは
18      時津風 水島
17      時津風 順一
16      時津風 親方
時津海↓
検索数     キーワード
75      時津 海
32      時津 海 緑 運動 公園
10      長崎 時津 海 緑 運動 公園

時津風は単一語扱いされており、時津海は 時津 海 と形態素に分解される。
因みに、

時津↓
検索数     キーワード
1391      時津 町
677      時津
500      時津 町 役場
281      時津 ヤスダオーシャンホテル
201      長崎 県 西彼杵 郡 時津 町
182      長崎 県 時津 町
179      時津 洋
135      時津 中学校
125      遊道 楽 時津
122      西彼杵 郡 時津 町 浜田 郷 長崎 県

時津は長崎県西彼杵郡時津町を指す言葉であることが分かった。

とすると、時津海(長崎県五島市生まれ。時津町とは角力灘を介して面する)は故郷を離れて時津風という別の地へ赴いたということになる。

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花開く紫陽花

日が落ち掛かる頃に、近くにある水の流れを伴った遊歩道を通った。先週もここを通る機会があった。そのときは雨が少なからず降っており、濡れた葉の間に咲く紫陽花は生命力の象徴のように思われた。今日はそれとは別の花かもしれないが、写真に撮りたくなる紫陽花があった。

Photo_1

写真に撮られた紫陽花は通俗的で好まれないと思うが、花開く紫陽花と、同時には開かない紫陽花があることに気がついたので一枚載せておくことにした。

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ネイティブだったらどう言うか


JRの電車の窓上広告に桜美林大学の英語名が Obirin でなく J. F. Oberlin となっていたので気にかかった。調べてみると、「宗教家であり、教育家であったジャン・フレデリック・オベリン」に由来している。


使用期限を経過した Windows Vista RC1 の「コントロールパネル→音声合成」においてテキスト入力欄に自分の名を英字で入れ、音声(Microsoft Anna)を再生してみた。シアトル・マリナーズ(Seattle Mariners)のイチロー(ICHIRO SUZUKI #51)はそのままで go through without difficulty だが、私の場合は chi → tch と綴りを変える必要がある。


1での Oberlin はオバリンであり、リンにアクセントがあった。私の場合もストレートに発音することが難しく、試行錯誤を繰り返した。ネイティブだったらどう直してくれるか。そういうお願いもできないとき、こういう作業が必要になってくる。そんなことをやってみた。

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歌の意味

FMラジオをつけると、「ビリーバンバン」の曲が流れていた。次の曲で、「さよならをするために」が掛かり、聴き入っていた。――過ぎた日の悲しみも みんな君にあげる――(石坂浩二 作詞)。悲しみは過去のものになると、もうそれは悲しみでも何でもなくなる。現在からは悲しみはない。そんな風に受け取れた。今日は訃報が続き、こんなことを思ってしまった。悲しみを感じなくするために死を選んだのだと私は思う。生きている人は軽度の悲しみを捨て去るべきである。

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蓮の花の代わりに

Botan

花の季節になったらしい。この写真を撮る前か後に、マーラーの「大地の歌」を聴いた。目の覚めるような曲。今でもそれは新しい。

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起業のトリガーはどこにある

5月19日、「女性起業UP(Unlimited Potential)ルーム開設記念セミナー」へ行ってきた。始まるまで時間の余裕があったので、往く路の途中にあったオフィスコンビニに入った。事務用品を一通り見て、魅力を感じていない自分を知ってそこを出た。

パネルディスカッションは講師が三人の起業家を紹介する形で始まり、十分な発言を引き出して終わった。切磋琢磨という言葉がキーワードになりそうな「女性起業UPルーム」事業は、生半な動機で続けることを拒んでいるかのように私には見受けられる。選りすぐりの起業しか生き延びられない、と思われた。そういう敷居の高いものではない筈だが、そのギャップを問い質すことはしなかった。意志がどの高さまでを越えられるか、それこそが起業だと私は思っている。

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忌明けの朝

朝、新聞を室内の郵便受けから取り、ぱらぱらと頁を捲った。地元の話題が載っている地方紙は母が昔よく早朝に読んでいたものである。近くにある重要文化財の施設に植えられている「ハンカチノキ」の根元で佇む女子高校生の顔立ちが目に入った。それを見に行こうと、朝食前に外に出た。「ハンカチノキ」は同じように立っていた。しかし、写真には載っていない「カイノキ」は標識を見出すことはできなかった。そのかわり、二日前にはまだ蕾だった躑躅の花が勢いを増して咲き始めていた。新聞の記事は私を外へ誘い出し、躑躅の移り変わりを教えてくれた――。

妻の祖母の四十九日法要を終え、ただ時間だけに流されている中で、私はもがく力さえ失いかけているように思われた。死者の祀り事は私の今とるべきこととは相反する事柄である。それを業としている人々を見るだけでも私には厭わしい。誕生と同じく死滅は何の意味もないものである。今生きていようと死んでいようと、過去の記憶だけが生きている。それを共有する相手もいないままに。

個人的な生を人はどう生きて終わったかなど、誰にも分かりはしない。本人にも分かり得なかったことを説こうとする愚を私はもうする気にはなれなかった。

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カジュアルになれない

カジュアルウェアを買いにいくとしたら、どこへ行くか。量販店でも無印良品でもなく、ましてやUNIQLOでもない。以前はデパートやプラザビルのメンズウェア売り場で手頃な値段と品質のものが手に入った。だが、いまはそれらの店は撤退して、雑貨店などが占めている。メンズウェア売り場は個性的な品揃えが目を引く。あれもこれも、という欲求を促す店は見つからなくなった。ジャージー姿で売り場を回っている男性客を見かけた。つまらない時代になった、と言っては傍観的か。

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零点一秒

ある朝、鏡に付いている翅虫を取ったあと他の染みを見ていたら、この大きな鏡がこのマンションの売りであることに気がついた。鏡はいつか拭いてきれいにしておかねばならない。

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再び本末転倒の話

記事を集めていると、書式の不統一に気がついた。記事は日付で区切られることが漸く分かった。その区切りの直後にタイトルと投稿者の名前があり、名前だけは区切りの前にもあった。複数ライターで行おうにも、グレードが異なり、また投稿者を英数文字で記すしかなかった。

投稿者がキーであったので、区切りのラインにそのIDを持ってくる必要があった。

結局、概略

┃  タイトル(ID1)  本文
┃  タイトル  本文(ID2)

のようになった。IDは色分けして検索を容易にした。

記事を読むことが、いつの間にか編集することにすり替わって、話は終わるが、これに関連して次のような話を付け加えておきたい。

住所録はインターネット通販では、半角英数、全角ひらがな、などと項目毎に断りがある。ないのは不備であるか、システムの方で置き換えている。

そういうルール付けをしないで記入すると、エラーが発生する。従って、そのようにして作成されたファイルを無闇に移動すると、大概エラーが出る。

そういうことか、それともそれ以外の理由でか、デパートのギフトの受付ではわざわざ手入力を行っている。それでも、読み取り時の入力ミスは起こっている。

やはり、責任は受け付ける側で持つべきと認識しているのであろうか。推測するだけにしておく。

以上

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畑仕事の跡

Field_2   

遊水池の桜はそれでも美しかった。一度風に吹かれただろうが、桜は美しかった。それで満足することにした。

惣菜パンを買って、迂回道を辿ると、キャベツ畑が広がっていた。何だか戻り道の方が近いように感じた。

この畑を毎日見続けた日々が私にはない。それを残念に思う自分を発見した。耕して何を植えるか、そういう記憶ならば私にある。

農作業は向かないと、子供の頃畑からの帰り道で思ったのは何故だろうと今にして思う。

辛かったのだろう。夕方遅く、暗くなる迄懸命に畑を打っていた母を間近に見ていた所為だろう。

今はどうなのかと訊く気はしない。思ってしまったために道を離れた自分が一人しかいないからだ。

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不滅の Early Music

SD オーデイオプレーヤーに「超録」で採取した音源をそのままのファイル名でコピーした。録音に要した時間と同じ長さの時間を用意することができないので編集をしていないものがある。途中で切れていたり、始まるまでの長い無音が続いていたりする。そんな騒音のような中から Vivaldi の音楽( I MUSICI の「四季」)が聴こえてくる。名演と言われる所以である。

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表参道ヒルズの同潤館エントランス

Dojunkan_1

表参道ヒルズのエントランスは四つあり、旧同潤館アパートの一部を残して備わるのが写真のエントランスである。この窓から坂道を行く人を眺めていると本館内に設えられた坂道を思ってか胸にこみ上げるものがあった。それは昔も今も変わらぬものを表現しようとしているからであると思う。目に見えぬものを目に見えるもので表してそれは了解される。本館の内部は照明を抑えているため、フラッシュが発光した。この中の坂も緩やかでやさしい。

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SWAROVSKI (スワロフスキー)作品を香典返しに

香典返しに土地の産物をと思い巡らし、鎌倉彫をインターネットで見ていたら、「丸盆7寸直径21cm ユリ柄(税込)7,350 円」というのがあった。

百合は百歳を越えて成仏した人に相応しいと思い、翌日、百貨店へ行き、色々なものを見ていたが、大きくて安価なものがなく、断念することになった。

同じフロアに検索の途中で見掛けたスワロフスキー作品の店があり、ガラスケースを覗いているうちに、いつの間にか、それに決めるようになった。拘りがなくなると、妙に自由な発想が生まれるらしく、ある一人の趣味に合わせることが根拠となった。

SWAROVSKI を香典返しに決めたのはなぜ、などと訊かないで欲しい。

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憂うつな通過儀礼

ある集まりに出て、そこで貰った資料を読んで、気に掛かったところのURLを訪ねると、最終更新日がおそろしく古いページに取り囲まれてしまった。唯一の救いは、ブログのページがあったことだが、それとてライブな感じが無くて、しばらく何も考える気がしなかった。

なぜ人は古いものに嫌悪感を抱くのだろうか。

古いものでは新しいものに太刀打ちできない。そんな気がとてもしている。それは情報の価値というものだろう。人間の吐き出す情報に鮮度などないと思うが、それでも人は昨日より今日の情報を得ようとする。現在とつながっていない過去のものは無になる。

私自身を蘇生させることを思い付いた次第である。

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風邪に効くウェブログ

朝にヨーグルトを食べて、昼に残った湯麵を食べた。三時頃、空腹は良くないと思い、鶏がらスープにご飯を入れた。

風邪を引いてしまうと、冷たいさっぱりした食べ物しか受け付けなくなる。こうして記事を書いているのは、少しは良くなったからなのか、そうでもないと思うが。興味のあることとか、やらなければならないこととかがあると少しはやる気になる、ということでしかない。

身体は最悪である。流動食しか食べられなくなったら、死んでもよい、と図らずも思ってしまった。そんな意思もなくなった頃は、自分は自分ではなくなっているということか。

こういうときに三通目のアンケート回答を頂いた。評価は悪くなかったので、今回はどこかを直すという作業に取り掛かる必要はない。そういう意味で有難かった訳ではないが。

ブログをやっていて、反応が感じられることが励みになる。収集サイトがあるために訪問の機会を得たというユーザーもいる。それより大きいのが検索であろう。私の記事は系統立てて作っていないので、有益であるとは言い難いが、なるべく薬の部分を作ることを心掛けている。

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飛び入りのベース弾きになる

高校一年生の子が、期末試験が終わったらベースを買いに行こうと言った。そんなに高価なものを欲している訳ではなく、玩具の感覚なのかもしれない。

試験が終わるやいなや、一緒に行こうと言った。最近は入門者の便宜を図ってセットで販売している。従ってアンプも込みである。楽器そのものも大事だが、音響機器はもっと大事と思っている私は少し古い人間であるかもしれない。

何をやるにも比較的敷居が高くなくなってきた。色んなことにチャレンジするその段階が一番面白く楽しいことを平成生まれは遺伝子に組み込まれている。

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今あるものより、まだないものを欲しがる現実(BAOの処女アルバム待望論)

VIVREの7Fから地階に下りて、HMVへ行った。クラシックの部屋へ入り、パブロ・カザルスの指揮したモーツァルトの後期六大交響曲集のCDを目にした。演奏には手を出したいが、作曲家の作品は敬遠しているため、見送った。お金もない。
BAOのアルバムは出ないのかと思い、見たが、ない。

一番目の作品は、インターネットで検索すれば見つけられるが、二番目の作品はまだ世にないため、出てこない。

こういう行為をしていることがよくあるのではないだろうか。無いということを証明することの困難さ。

自分にないものを探しているのではないだろうか、という懐疑。しかも、そういうことが日常的に行われている現実の世。

これは大きな矛盾のように思われる。この文章を翻訳ソフトで英語に変えたものを下に添えておくことにする。いずれ、手直しするつもりである。


Realities that want the one that not is yet more than the one that is now (Theory of the long-awaited virgin album of BAO)

Descending from the 7th floor to the basement of VIVRE, I went to HMV mucis store. I entered to the room of the classical music, and I viewed a couple of CDs of the collection of the latter-term six major symphonies of Mozart that Pablo Casals directed. I would like to listen to the performance, but because I kept the works of the composer at a distance, I didn't buy it. There is no either money.

There is no album of BAO though doesn't think coming out, and saw.

Though the former work will be found if searching the Internet, the latter work doesn't come out because it is not in the world yet

Probably, such acts are sometimes often done. Difficulty of proving that there is nothing.

Doubt whether will not look for a few things to oneself. And the actual world where such a thing is performed routinely.

This seems like big contradiction. The one that these sentences were changed into English with the translation software will be affixed below. I will adjust sooner or later.

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黒木明日香からの贈り物

また、mF247から取り込んだ曲のこと。黒木明日香「ありがとうの贈り物」。映画でいうと、長回しのシーンが展開されていた。下に歌詞を引用しておく。

  ありがとうの贈り物    作詞:黒木明日香

あたたかい声に包まれて今 触れ合うことの意味を感じてる
しらけたムードの世界だって多分
変えていけるそんな力がここにはあるよね

生まれ変わったとしてもまたもう一度この私に生まれたい
そしてまた変わらずにありがとうの気持ちを言葉に ずっと

君が笑えるように私は歌ういつの日も
君が側にいるだけで笑顔になれる私からの贈り物

苦しい時さえ いつも優しく 勇気と力をくれる君を見て
また頑張ろうと励ましとなり
どんな困難な事も乗り切れる気がするよ

選びなおせたとしてもまたもう一度この道を選び歩きたい
そしてまた君と出逢いこんな風に同じ時を過ごせたらな ずっと

君がくじけぬように私は歌ういつの日も
君が好きな空の下 形はないけど私からの贈り物

繰り返して言うと色あせるかな?
でも何度でも言いたい
「ありがとう・・・ありがとう」

君が笑えるように私は歌ういつの日も
君が側にいるだけで笑顔になれる私からの贈り物

君がくじけぬように私は歌ういつの日も
君が好きな空の下 形はないけど私からの贈り物

Lalala・・・大きな空に響かせよう
Lalala・・・形はないけど私からの贈り物
形はないけど
ありがとうの贈り物

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人知れずシャンソンを歌う

mF247 というサイトから20曲ばかりダウンロードしてCDに焼いた。PCの騒音のない場所で聴きたい。曲の、名前(連番)、アーティスト、タイトル、長さ(時分秒)をリストにしてラベル面に印刷しようと算段している間、高坂里佳の「緑の宝石」をリピートして聴い(てい)た。

多分、最初と最後の音がつながっているのだろう。快いと言っては何だが、歌をうたうことへの憧れを育んでいる人、という印象を受けた。それはもう一つの曲「愛の森での風景」がシャンソン風であることからも分かる。歌をうまくうたうことにかけられた情熱を私はインターネットから知った。

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オリジナリティーを失ってコラボレーションに走る

コラボレーションって、昔は異文化との遭遇みたいな、例えば、それまで出会わなかった人同志が、初めまして、っていうようにして顔を合わせて、この人はどんな人なんだろうな、などと心の中で問いながら、演奏、なんていうのが、観客として感じていたコラボレーション。

そりゃあ、事前に練習して、合わせて、完成させて出すこともあるが、やはり観客にとっては、初めての経験である。その組み合わせが楽しみ、掛け算して、算数にならなかった、というのがそれ。二つの間にある生成物。ハーモニーでもよい。

共同作業。共同製作。そんなものではない。一回コラボして、二回もするか。泉のように滾滾と湧き出るオリジナリティー。コラボする前に、絞ってみよ。オリジナリティーを見詰めてみよ。コラボレーションは遊び。遊びと思わせる晴れやかな共同作業を見たい。

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『風を感じる街~ yokosuka 』(audition-杉山清貴.mpeg ムービークリップ 515KB をWAVEファイルに変換して聴いて)

最初、32秒の試聴で何も分からなかった。初めて聴いたときの印象がなかったかのようにその試聴はあっという間に流れた。そして音が良くなかった。本当に悪かった。そこで、iTunes に入れて、WAVEファイルに変換し、spwave で聴いてみた。音の分離がよくなったのか、胸に迫るものがあった。

CDを5,000枚製作するより、歌入りをダウンロード可能にした方がPR効果があるかも知れない。回収すべきものは何か、と問われれば、「郷土愛」なのであろう。買いに出掛けるより自宅で採取した方が楽、ということも無きにしも非ず。採取する行為も愛。きれいごとを言って申し訳ありません。

リンク ⇒ FM放送で聴いた歌

       iTunesからspwaveへ

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FM放送で聴いた歌


素直で伸びやかな歌声、「横須賀」と歌詞にある。素朴な感じが耳を通った。ブラスの響きも好ましい。


風を見たかと訊かれて
思わず軽く頷く
本当はあなたこそが 海を渡る風
髪の透き間にも 潮の香りがする
この街で出会い この街が青春
約束をしたね 変わらずにいようと
横須賀 My home town
夢を誘う街
横須賀 Our home town
風を感じる街
        (「風を感じる街~ yokosuka 」作詞:阿木燿子)


横須賀市制100周年記念にあわせて作られた横須賀のイメージソングだという。


次のページで試聴できる。そこから私はまだ聴いていないが。

http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/song/index.html

作曲:宇崎竜童
歌: 杉山清貴(1959年、神奈川県横浜市生まれ。1977年、横須賀学院高校卒業)


小田和正の曲に通じるものがある。ヒットしたらどうなるのか、心配だ。

リンク ⇒ 『風を感じる街~ yokosuka 』(audition-杉山清貴.mpeg ムービークリップ 515KB をWAVEファイルに変換して聴いて)

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市井人の不安

本当は一秒先のことを考えなければならないのだが、済んだことしか考えられない。明日のこと、数ヶ月先のことを予定という。予定は決めたことだから、済んだことに等しい。私は今切に先のことを考えなければならない。自動車運転の予測に似た行為をしようとしている。

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甲斐よしひろの切り出し方

以前から、甲斐よしひろの新しいCDが出ると知っていた。2/7とか。生協のパンフレットに出ていたそれは、期待を裏切るものであった。前から、カバーをしたものに魅力を感じられない私は、こんどこそ新譜、と勢い込んでいた。曲がりなりにも時代を熱狂させたシンガーは後退するしかないのか。2001年の KAI BAND/『夏の轍』AMCM-4541 からは、凝ったバンドのサウンドが聴こえる。オーディオ的に面白い、と言っては何だが、そんな魅力を感じていたのである。

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バレンタインデーにはチョコレートはいらない

2月14日は Valentine's Day(殉教者聖バレンタインを祭る祭日だが一般にはバレンタインカードを贈る日と考えられている)。スーパーなどにも入口にデコラティブなチョコレートが並ぶようになった。
ミルク・チョコレートを愛用している私は、もうどのようなチョコレートも欲しくはない。お金が沢山あるとそれ以上欲しくはないのと同じか。そうでもないか。チョコレートは嗜好品である。必需品ではない。
それでも色々な味わいのチョコレートを求める人がいる。チョコレートというジャンルに満足した私は興味が湧かない。そういうチョコレートに私は感謝しなければならない。これは私のカードである。

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バーガー氏

バーガー氏はあごを突き出して頭の後ろで鳴る音を確かめた。それに似た音を生活の折節に聴くようになってから長い日時が過ぎている。耳が聞こえなくなったのではない。戸外の音と同じ鮮明さで何かが発振している。
それは音楽を聴くことが稀になった時期と重なっている。自ら発する単調な音に飽くこともできず、かといって、他の音を聴く気にもなれない。

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Bae,Yong Joon (ペ・ヨンジュン) 再び

スーパーのレジを待つ間、近くのマガジンラックから「ぴあ」を引き抜いて見た。折込の頁に横顔が写っている。これは誰だろうと思った。世はクラシック好みなのか。頁を繰っていると、これがどうやらペ・ヨンジュンがよく聴くといって売り出されたCDの宣伝広告であることに気がついた。なんでもないクラシックの曲が、強烈なイメージとリンクさせられている。中身は別に"いま"の演奏家によるものではない。何を売りたいのかが一目瞭然である。
新しい演奏家を紹介するアルバムならば大歓迎であるのに。


以下は、Webページ BYJの『今』を、過去の天才たちが紡いだ珠玉の音楽とともにお届けします― より抜粋しました。

『BYJ Classics -Hero-通常盤』 収録曲

1.リヒャルト・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》より『英雄』
        ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2.ワーグナー:歌劇《ローエングリン》より 第1幕への前奏曲
        カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
3.ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》変ホ長調作品55より 第1楽章(抜粋)
        カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
4.ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27より 第3楽章(抜粋)
        ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
5.モーツァルト:歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》より『恋人の優しい息吹は』
        ジェイムズ・レヴァイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
        ハンス・ペーター・ブロホヴィツ(テノール)
6.ビゼー:《アルルの女》第1組曲より 前奏曲
        チョン・ミョンフン指揮 パリ・バスティーユ管弦楽団
7.ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58より 第2楽章
        ミハイル・プレトニョフ(ピアノ)
8.ドヴォルザーク:弦楽セレナードホ長調作品22より 第2楽章
        チョン・ミョンフン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
9.チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23より 第1楽章(抜粋)
        ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン交響楽団
        スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
10.モーツァルト:弦楽五重奏曲第5番ニ長調K.593より 第3楽章
        アマデウス弦楽四重奏団 セシル・アロノヴィッツ(ヴィオラ)
11.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》より 第4楽章
        『原光-おお、くれないの小さなバラよ!』
        ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団 ノーマ・プロクター(アルト)
12.ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》変ホ長調作品55より第4楽章(抜粋)
        カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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介護の行き場(指定介護療養型医療施設を去るとき)

妻の祖母が病院に長く滞在している。2005年に100歳の祝い状をそこで受けた。

数年前は老人デイサービスセンターに通っていた。その後徐々にからだが弱り訪問介護を受けていたが、介護する側も年老いており、介護に限界を感じて入院することとなった。

私たちは郷里を遠く離れている。最近機会があって二度、祖母を訪ねた。訪ねても当人は認知症が進み、もはや妻の定かな認識を有していなかった。私は尚更である。

「病院に入れると三ヶ月でぼけるよ」と周りの人に言われたとおりになってしまった。言葉を発しなくなり、おむつをし、寝たきりの生活が続いている。流動食を経て、点滴でしか養分を摂取することができなくなり、病院内での移動に使う車椅子も無用になった。

祖母が自宅に居たころ、妻と話すときの居ずまいを写真に撮ったことがあるが、今では祖母そのものの存在を撮るだけになった。挨拶には気をつかった人が、今では病室の天井を飽かず見ているだけである。

カメラに向けた眼差しが私に訴えている。(いつの間にか時間が経ったが、そんなに痛みに苦しんでいるわけではない。生きているだけで次の日を迎えることができる)元々、言葉の印象を持っていない私には、抽象した形で表現するしかない。

姿は変容して、自宅に居たころとは全く異なる風貌になった。ベッドの上で片腕を出しているのが何かの作業をしているように見受けられる。一番楽な姿勢なのかも知れない。それを見て私は、人間が本来持つべきところの生きようとする意志が表情に出てきたとしか言いようがなかった。生命を維持することに巧みな人の生活を私は尊重したいと思う。

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風呂の節水

浴槽にお湯を250リットルほど張り、そのうちの20リットルをポリエチレン製のウォータータンクで囲うようにした。熱は、ほとんど「伝導」でしか伝わらなくなるため、温まり難くなると思われる。

基本的に、古いお湯は洗濯機に誘導しており、そういう節約が有効なのかどうか初めから疑問視している。これを数学の問題にしないためには、あれこれ考える必要があると思った。

空気の入ったタンクを水面下に沈める方法――。昔は、風呂釜の底に木の板をあてがっていたが、浮力に対抗する根気が要った。上のウォータータンクも、少しの空気が入っているだけで浮力は容易に発生し浮遊する。それに抗う重力をどのようにして探すか。「断熱」と「重さ」は相性が悪いという感想で終わりそうだ。そして、水より重い金属で重しを付けて、空気タンクが言うことを聞くのか。重々しいそれは、入浴中にも、洗浄の際にも、邪魔をしてくるだろう。

風呂の節水はトイレの節水とは問題が異なるのである。

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プロフィールをご覧ください

サイドバーの終末にプロフィールを表示するように致しました。
ブログはコミュニケーションツールのひとつ、と口を酸っぱくして言われますと策を講じないわけにはまいりません。
あなたは誰ですか、などと言われているような気にもなります。
内容は、コメントを書いていただくようにお誘い申し上げるのと、
前後しますが、どんな人かが趣味の面からうかがい知れるようにと、
貧弱なレコードライブラリーのヘッドの部分を紹介させていただきました。
我ながらごく普通の人間であると改めて感じました。
以上、告知をさせていただかないと、ひっそりと埋もれてしまいますので、
このようなコメントになりました。コメント書き込み者よ来たれ!

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形のなくなったもの


演奏者がステージの右端に立っている。雛壇の奥に行こうとしているが、顔をこちらに向けている。学生時代のクラブ活動の先輩に似ている。アルトのフレーズが終わるのを待って、これからテナーサックスを吹こうとしている。


目覚めて、そのテナーサックスのフレーズの切れ端を覚えていたが、陳腐だと思っているうちに記憶から消えていた。スローなところが気に入らなかった。


ごみのような旋律でも、音符に代わる表記でインターネットに乗せれば共鳴者が現れるかもしれない。音階はいいとして、長さはどう表すのか、と考えていた。すかさずiBookの電源を入れて録音すればよかった。ユニークな旋律であるとも限らない。


新着記事一覧からピックアップしてブログを閲覧していると、画像や音声が勝手に動き出すページに出くわした。それらは嫌われるものの部類であると言い習わされてきた。夢に出てきた旋律を流行り歌にする術――。

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ニューイヤー初詣2007

年も改まり、近くの神社へ初詣に行ってきた。「神明社」は、境内に大きな楠が立っており、見応えのある木だと私は思っている。早足で歩くと喉が痛く感じられる。鈴を鳴らして、今年もいいことがありますように、とおまじないのことばを心の中で唱えるだけにした。たとえ、どんなことがあっても、意志は持ち続けなければならない。それは、よい、と思う心に掛かっている。夕方、冬至を過ぎた辺りから日が長くなっている。

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携帯電話機をIP電話に

以前、携帯電話の画像をPCに転送することを思い付き、電気店でアダプターを物色したことがある。やや高価だったのでそれきりになっている。

また最近、IP電話をするために一般電話機を繋ぎかえていたが、面倒くさく思われてきたらしい。低価格の電話機は2千円程度で買うことができるが、却ってどうでもいいデザインに拘ってしまった。

携帯電話機が2台、お役御免で手元にある。一応拘って買ったものなので、それをIP電話機として使えればそれに越したことはない。そういう発想と需要は有り得るのかどうか、また安価な電話機で即決となりそうなものだと言われるかもしれないが、そういう現実的な問題に対してスタイリッシュな解決を試みたいと思う。

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売られた文庫本

私は人に本を売ることを潔しとしない。今日も14冊の文庫本が合計僅か180円で売られてしまった。

私には書籍に購入日を書き入れる習慣がある。従ってそれらは売れようがない。従って、それらは今では読まれると直ちに廃棄されることになる。資料的価値のあるものは章単位で解体された束がゴムバンドで括られて保存されるが、あまり読み返すことはない。傍線を引くことなど時間の無駄になってきた。

買ってから読まれずにきた本よ、こんにちわである。そしてさようなら。私には時間が余りにも少ない。しかしながら、それらを著した作者も持ち時間は余りにも少なかったのだろう。私たちは本を媒介として限りない擦れ違いを起こしている。あらかじめ用意された本もこれから生まれるであろう本も選び取られる作業を必要とする。

本を整理する段になって自分の読書傾向が分かったという。本と自分とのつながりだけが残ったことになる。

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自炊の日

のっぺらぼうとした歳末の23日に集まりの会があるので、子供たちには留守番を頼まねばならないことになった。子供の手で食事を用意する日を割り出して、そこに「ボンカレー」と続けて書き入れた。冗談の積もりであるが、まかり間違って、家人が「銀座カリー」を買おうと言った。数日経って男の方の子供に「ボンカレーと銀座カリーとどっちがいい?」と訊いた。銀座へ行ったことのない男の方の子供は「銀座カリー」と言った。

私の冗談と家人の真面目を子供は測ったのだろうか。よほど食べられないものでなければ、どんなものでも黙って食する子供はそれでも美味しいほうを選んだ、としか私には思えない。銀座はそれでもいいよな、と私は思う。カレーより名で通ってしまうことに底力がある。雨の日でも、人はそこへ出かけているのを見たことがある。

だがカレーの実質に子供は目を向けたのかもしれないとも私は思ってみたりする。ボンカレーの味を経験していて、それにないものを銀座カリーに仮に置いてみる。そうすると銀座カリーはとても期待に満ちたものに見えてくる。インドカレーより、ジャワカレーである。だが、本当のカレーを食べたことがないことが話の唯一の欠陥ではある。

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スナジとエナジの夢

幼少の頃の風景に親戚の人たちが一同に会している場面がある。そんな夢を見た。おそらく私の分身なのであろう、スナジという少年と年長のエナジという少年の兄弟。砂地なのか、江奈次なのか、「次」ならば次男であろう、などと煩悶していた。どうでもよいことに時間が掛かるのは夢の中でも同じである。

場面は変わって駅の連絡通路。乗り間違えた列車を降りて、豊橋みたいな駅名の所で反対方向のホームへ行きたいのだが、それがとてつもなく遠方に位置している。カーブの道に繋がっていたりして、際限がない。

どうやらこれらは父の危篤の知らせを母から受けた日の出来事と関連があるらしい。夢には根拠のないものはないのだろう。だとすると、スナジとエナジはどういうことなのか。スナジはsynergyなのか。エナジはenergyなのか。

以下はSanseido Word-Wise Web より部分引用しました。

「シナジー」

【どういう意味?】
「共同作用」「相乗作用」のことです。

【もう少し詳しく教えて】
「シナジー」(synergy)は、「共同作用」「相乗作用」を意味する英語からきています。「二つ以上のもの・ひと・事柄などが、相互に作用し合い、ひとつの効果や機能を高めること」をいいます。また、とくに、経営戦略において、「販売・設備・技術などの機能を重層的に活用することにより、利益が相乗的に生み出されるという効果」を指して用いる場合もあります。

【雑学・うんちく・トリビアを教えて!】
シナジーとエナジーとシナリー  英語の「シナジー」(synergy)の語源を辿ると、「一緒に働く」を意味するギリシャ語の「シナガス」(synergos)に行き着きます。カタカナ語でいう「エネルギー」のことで、英語では「エナジー」(energy)というのも、語源はギリシア語で「活動する」を意味するギリシア語の「エネルギン」(energin)です。カタカナ語だと似ている「シナリー」(scenery)は英語で「景観」「風景」の意味で、語源は古代ギリシアの劇場で役者の控え室を意味する「スケーネ」(skene)がラテン語の舞台背景を意味する「シェーナ」(scena)を経て英語になったもの。

追記)三省堂ワードワイズ・ウェブに説明が載っていた。あながち根も葉もない私の夢ではないことに安堵した次第である。以上

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図書の貸出期間と本の鮮度

訳があって図書館の本を長期間借り続けたことがある。返すときは読了した訳ではなく、見直した結果、資料の価値が下がっていたことに気が付いたからである。他の資料で賄える情報となっていた。

最近、貸し出しの継続手続きが変更になり、取消→新規の扱いではなく、変更の扱いになった。また、それに伴い、インターネットでユーザーが自分で手続きを済ますことができるようになった。ただし、継続手続きは一回のみ可能であり、最長4週間借りた図書は返却する必要がある。

本題はこれからである。私は4週間借りた本を返すことにした。少ししか読んでおらず、日を置いてまた新たに借りることにして。実際、棚の番号を控えており、そこへ行って探した。同じ書名の本を見出したが、どうも前に借りた本とは違うようである。新訂版であり、内容は刷新されている。その後、前に借りた本も見出したが、やはり、新しい方を借りることにした。

長い間本を抱えていることは良いことではないと教えられた。積読は以ての外であろう。私も買ってはみたものの、読まずにある本が少なからずある。それらは何時読まれるのであろうか。聴かれずにおかれたレコードの類いもある。それらも何時聴かれるのであろう。知ることは有限であり、それはうれしいことである。

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YES ベンチャーフォーラム 2006 を聴講して

YESとは、Yokohama Entrepreneur Style の意。参加者は皆、Yes‥と言うだろうか。

第1部 司会者が演者に向かって、ネタはどのようにして見つけたか、というような訊ね方をし、演者はブレない定型的な回答を返した。少しは砕けた様子で。特に突飛な話題はなく、可のない話に終始した。突っ込んでも嫌われるだけ、と誰しも思う。それでは新しい知見は得られない。是非論を聞きに来た訳ではない。夢を促すエネルギーはなかったのだろうか。

第2部 私はBを選んだ。前半の部分で一度、胸の奥に食い入る言葉を聴いた。それは何だったのだろう。志を揺さぶる言葉だったか。人に会ったという感触は久しぶりだ。講師は第1部を熱心に聴いていたらしく、引用が多くあった。身内のエピソードを入れるほどの余裕はないはずだが、そういう話柄で纏まってしまうことに注意を払いたい。自分は何か、が分かればよいのだが、それが分からないから厄介なので、こうして足を運ぶ羽目になるのだ。講師はこの場で、死に物狂いで顧客を獲得する必要はなかったのか。丸裸にされる作業は人には辛い。残るものがないと知って人はここに来た。

失礼な物言いを詫びて終わりたい。

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園児募集のポスターを見て

ある日、散歩に行った道すがら、園児募集のポスターを目にした。費用のことを断っていないのは暗黙の了解であろう。他と比べて決めるのは顧客の都合である。それよりは、一人でも多く入ってくれるようそのポスターは言っているようだった。

そんなことを思いながら、私はアクセス数の甚だ少ないウェブ上のコンテンツを登録することにした。報酬が5千円から2万円だなどと言っても仕方がないと感じている。アクセスカウンターを付加して、様子を見ることが大前提だ。

園児の集う風景を写して、我が子の行く末を案じさせる、そのような作りであった。未来に託す行いはシステムに乗らないといけないのか。それよりも園児そのものを問う豊かさが欲しいと、昨今の世相に倣っての言葉を記す。

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結婚年

1.1988.5.22
これは覚えておかねばならない数字である。

 ・イチキューパッパ ゴーテンニーニー

 ・はは いつ ふたたび

>・母 御 夫婦

2.妻の母により私たちは結婚することができた。
と意味付けても構わない。アンシンメトリカルな語呂合わせで落ちが付いた。

3.私自身はこの日付を極力ぼんやりと覚えておきたい。
昨日と明日の間が進行しているだけと感じているゆえ。

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味を言葉で

スーパーの売り場でアジア系外国人の若い男に紅茶のありかを尋ねられたことがある。
きょう、ケーキを食した。

Pound
Cake
TEA
紅茶
ALBERI
焼菓子(紅茶)

装飾の少ないラベルに上のように記されている。
グラム表示はなく、300円で購入。
どんな味かと問われれば、控えめで渋い、と答えることになる。
先の男にも明瞭な答えができなかったことを思い出す。

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CD-Rはどこまで安くなるか

50枚入りCD-Rを買ってきた。とても安価になってウソみたいだ。100枚入りだとさらにウソさが増大することになる。デジタルだと品質に違いは見つけられなくなると私は思うので、ひたすら安ければ安いほど買いやすくなる。CD-RはHDほどアクセスが容易ではないが、モノとしての安心感がある。それは壊れにくい。大切にすれば半永久的に持つということが魅力である。一枚のCD-Rに何を入れるかなどと悩む必要がなくなるほど安くなったのだ。
(以前、岡田屋MORE'SでVHSビデオテープを買う客が店員に「これは何回録画できるか」と聞いていたのを覚えている。CD-Rはそういうしがらみから解き放たれている。)

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OpenOffice.orgはOOoと略記される

OpenOffice.org は統合オフィスソフトと云われている。無料でWord、Excelと互換性があり、バージョン2.0から簡易型DBMS(HSQLDB)として利用可能なデータベース機能が加わったので、私は俄然注目することになった。無料であれば、取り付き易いことは確かである。Windows上でAccessを持てない人はデータベースに馴染みが少なかったと私は思う。個人でAccessを使う人は稀だからだ。またAccessはそんなに面白いデータベースでもないと私は思う。そういう私がOpenOffice.orgのBaseに熱を上げるのは無料という一点に掛かっている。このことはLinuxが登場したときと同じ感慨である。そういうわけで、今までデータベースを個人的には触ったことがないので、敷居が低いBaseでしばらく様子をみようと思った次第である。

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浅い眠り

今朝こんな夢を見た。
どこかの団体の食堂で、おかずのメニューが a、b のほかに c があったので私はそれを取った。1かたまりの食パン大で、パン粉に覆われて中に干し葡萄のようなものがあるのが目を引いた。それは挽肉のようでもあり、a、b、c ともコロッケであることを思い出した。調理をしている人は見覚えのある顔で、c はまだ試作の段階だと言う。確かにそれは一つしかなかったからそうなのだろうと思ったので、私はほかのと取替えた。

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遮光カーテン

日中、夜中を問わず、共用廊下を通る人の気配が気に障るようになったので、窓の丈に比べて長いカーテンを半分に折り返してフックの辺りで縫い合わせ、遮光性を上げたものに取替えることにした。遮光カーテンには1級、2級と等級があり、出来上がった改造カーテンがどの等級に匹敵するか不明である。
遮光シートやミラーシートまで調べかかったが、どうもぴったりくるものがない。手間は掛かったが、お金のかからない、ささやかなリフォームで事を済ますことができた。
子供の学校の教科書を見ると、一通り生活できるための説明が記されているが、それを実践する機会が稀なのではないかと思った。出来る人が率先して手を出すと、後の人の出番が失われてしまう。子供の頃、そのような肩身の狭い場面が多かったことを覚えている。知らず知らず、控えめな性格が形成されることを危ぶんでいることに気がついた次第である。
子供は無限に近い能力を有していることを殊更記して終わりたい。

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無駄な努力

最近ブログに投稿するとトラックバックに迷惑なリンクが張られ、それが多く目に付くようになった。コメントに、ではないので少々気が楽である。然らば、トラックバックの受付を付けないでおこう。そういう気遣いも疲れることである。徒な喧騒は無いほうが良いに決まっている。
それらはある種類のキーワードに反応する。放送禁止用語のようなものが、ブログにもあるのだと思った。つまらないことばに反応しないで欲しい。そういう操作に勢力を傾けないで欲しい。と、思う次第である。ブログは自分の中の何かを引き出すツールとして活用したい。

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戸外の風の音

暑くなってきた。
家人と紫陽花を見に行けばよいものを。




台所の天井照明が壁のスイッチを倒しても点かなくなった。
3本の直管の内、どうやら中央の管に多少なりとも劣化が発生するともう点かなくなるようである。3本には順位が付いている。比較的問題なさそうなものを先頭に配した。2番目は1番を後押しすることはできない。1番目は自らスタートを切らなければならない。苦笑する照明器具である。


マーラーの交響曲第1番をこのところ聴くことが多い。耳を澄まして聴いているのも良いが、聴きながら軽めの手作業をすると、これもいい。手作業の実質が理解できるようになる。難しい言い方をした。簡単に言えば、整理作業である。


条件分岐というのがある。いくつかの条件のほかに、その他の条件を入れておくことが必要である。いまはその「その他」の中にある。分類するときは、なるべく、または必ず、その他にしないように、と言われた記憶がある。その他は特定できない。特定しない状態が長くあってはいけない。ONかOFF、是か非、私のこのブログも折をみてノンジャンルから然るべきカテゴリー名に付け替えている。しかし、自分自身はどのカテゴリー、どの道を行けば良いのか、不明である。


目的が人間を規制するようである。何もすることがなくなったら、目的を持てばよいらしい。目的が自分を導いてくれる筈だ。ドライブレコーダーの副次効果をNHK-TVのニュースで知った。生々しい画像を人は記録したがるだろうか。本当のところは知りたくないのではないだろうか。自分の好いように解釈したいのではないか。もっと前向きな発想に基ずく品物があってもよいのに。足を踏み出しにくい商品。自分の内面を記録する監視カメラ。


BAO
上海音楽院で幼い頃から特別な訓練を重ね、超絶技巧をこなすエリート達。
二胡 ツァオ・レィー
   ヤオ・シンフォン
笛  リュー・イー
   チェン・ジュン
琵琶 タン・シャオフォン
   ユィー・ビン
こんな記述。彼らだけの音楽を聴いてみたいと思うのは私だけだろうか。刺激的な音楽であろうと思うゆえ。



この記事を書いて、記憶を捨てようと思う。上の2項目めのカテゴリーである。

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蔵出しの図

牡丹
変換にはある程度の時間が掛かった。
デジカメで撮った写真をブログに載せるサイズに縮小する時間である。
桜が満開であった時節を回顧するより牡丹の存在を再確認するほうが心豊かな感がある。
ことばの洪水に疲れたときは、写真を眺めて物思いに耽ったほうがよい。
自分のことばが生まれるかもしれない。
期待、予感、夢、そんなものを人間は欲するのか。
掬い上げたとき、何もないことを確認するほうが救われる。
写真は近くの公園で撮った花。明瞭なコントラストだ。

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木の実

6月4日に近くの公園で落ちていた梅の木の実をディスプレイの下に置いている。
そのときは青々としていたが、いまは電灯の光に当たっている側が黄色くなっている。
たまたまそのように色が変化したのかもしれない。
しかしそれを見ている私はそれと共に変化しているのだ。
変化とは、時間の経過により感受されるものだから、梅の木の実が歳をとったとかであるかもしれない。
それは人であるかもしれない。梅の木の実は私であるかもしれない。私はどこが変化しただろうか。その変化したことを何らかの方法で把握したいと思う。

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新緑の季節

新緑
ようやく空気の柔らかい、すっきりした季節になった。
これを以って「春」というのだろうか(夏ではなく)。

「星の砂」という歌があって、作曲者が歌っているその歌をとても聴きたくなって、CDショップを二、三度訪ねたことがある。

CDアルバムはあったが、ほかの歌が一曲しかなくて購入を控えた。
私の知らない歌を聴きたい――。

歌声に関心があったので、そういう無い物ねだりをしていたのだ。
その人だったらどのように歌うだろうか。
どういうニュアンスがその人から聞き取れるだろうか。

それを楽しみとしてはいけないかも知れない。
無いものはないのだ。もうどうにも無いのだ。

記憶のなかの歌。それはいつでも再生できる。
たとえ切れぎれであっても、歌は私を満たすことができる。
その断片は私の脳のどこにあるのだろうか。

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風のある寒い日

池面
近くの公園で鳥を撮った。
コントラストがよかったので掲載。
午前に雷が鳴った。
晴れて降って、また晴れての日。

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きわどさがつきまとう

[際疾い]
それ以上進んだらあぶなくなる、すぐ手前にあるようす。「――ところで助かる」
それ以上進んだらいけないという、一線をこえそうで、はらはらさせられる。「――話」
(三省堂国語辞典)

私たちの生活は過去、現在、未来があり、
現在しか感知できないようになっている。
きわどいのは今であり、それを客観視できるかどうかが難しいところだ。

人の思いはさまざまなスパンがあり、
焦点を合わせることが困難なときもある。
それが人間らしさだと言えばよいのだろうが、
それにとらわれるのが嫌なときもある。

理性はどこにあるか。
それは衆知のなかにあるのか。
それとも個のなかにあるのか。
私はできるだけ正気でいようと思う。
それは望ましいことである。

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連想は可能か

ただ一枚の絵だけで記事が成り立つとは思えないが、
そこに置いてあることでしばらくは
ポスターのような機能は果たせるのではないか。

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マーラーの音楽のこと

『この一枚』「C・クライバー/バイエルン国立管弦楽団 ベートーヴェン/交響曲第4番」より
……(1)近年の好みが、交響音楽でいうと、ハイドンやベートーヴェンのものより、シューベルト、マーラーといった長大で、抒情性乃至は物語り性を基調にいたるところに魅惑的な細部を秘めた音楽に向けられてきている……。
(2)人には、見通しがよく、きちっと設計され、がっちり構成された音楽のもつダイナミックな迫力と、知的な風通しのよさにあふれた音楽、はじめから目標をきっちり定め、そこに向かって無駄のない清潔な旅行をするような音楽よりも、「能率的」な旅行をしていたのでは目につかないような細部に秘められたさまざまの魅惑の風景を求めてさまよい歩き、心にとまるところがあれば、興趣にかられて、いつまでも心ゆくまで味わいつつ行くといった音楽を愛するようになったのではなかろうか。……1983.1月~1987.4月


『世界の指揮者』「クーベリック、ターリッヒ、アンチェルル」より
……クーベリックのテンポは、マーラーをやる時でさえ、よく流れ無理がなく、力強くて、甘さの少ない、というよりむしろ渋いアクセントをもっているので、……。しかも、マーラーの音楽の詩味がけっして失われていないのが、この人でよい点である。表現は自然で健康で無理がなく、マーラーというと、とかく指揮者が陥りがちのセンチメンタルな誇張が用心深く避けられている。深刻癖もないし、おそらくクーベリックは現代のマーラー指揮者の中で、「最もリアリスティックなマーラー」をやる人といってもよいかもしれない。ただ、問題は、果たしてマーラーの音楽の中核に、クーベリックが用心して避けているもの(前記下線部)がなかったかどうか、である。そうして、これは人によって議論のわかれるところだろうが、私は、彼のマーラーをきいていて、ときにもう少し緊張力に富んだ、きくものの肺腑にくいこんでくるようなところがほしいという気になるということも、つけそえておきたいと思う。それだけにまた、マーラーのレントラー、本当に「ボヘミア的」田園的なものへの憧れと回想から生まれたかに思われるような楽章の演奏となると、ほかの誰からもきかれないような安らかさとポエジーの均衡がきかれる。こういう時の演奏を、もしマーラー自身がきけたとしたら泣いたかもしれない。ここには、ある種の《無垢》と《素朴》がまだ辛うじて、生き残っている。?~昭和48年4月

 引用はともに吉田秀和著作。冗長な印象は、言葉がくり返されていることにもよる。
 前者は、私がマーラーの第七番を好んで聴くようになった原因を示している気がするので挙げた。後者は、クーベリックという指揮者とマーラーの音楽のつながりのようなものを記しておきたかったので挙げた。
 これを読んで、クーベリック/BPO ドボルザーク/交響曲第八番を第二楽章の途中まで聴いたが、ここで言われているような特質を特に感じなかった。
 前者の引用は(1)だけで充分で、(2)は言い直した感がある。なぜ、(1)の傾向が生まれたかを説いて欲しいところだ。
 マーラーの音楽は無垢な印象の演奏が私はよいと思う。哲学の材料になればよいと私は思う。こういう嗜好を持っている場合、ハイドンやベートーヴェンの音楽はただ騒音にしか聞こえない。適度に沈黙(静寂)がないと音に圧迫されるようで煩わしく感じてしまう。そういう嗜好がいつまでも続くわけではなく、何かのきっかけでまた変わるのではある。
('99.3.30)

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マイム、非ざる人

(略)
 その後、東急ハンズへ回った。
駅へ戻り、妻を先に帰宅させ、
私はCD屋と本屋をいくつか回った。
そごうの7F本屋で
司馬遼太郎の講演録5が出ていないので、
心の空洞を埋めたくて、北村太郎詩集(思潮社 現代詩文庫61)を買った。
傍にあるだけで安心する本もあるようだ。
 実は、書き止めておきたかったことは以上のことではない。
帰りに、そごうからエスカレータで駅のコンコースに上がった辺りで、
外国人一人が黄緑色の上着を着てカートンボックスをうつぶせに置いてその上で直立静止しているのを見てからのことである。
カートンボックスは黒、くつも黒、ズボンも黒。
手袋は白。顔も白く塗っていた。
帽子はクロだっただろうか、よく覚えていない。
足元にお金を入れると動くと書いた札が立ててある。
なるほど、お金をだれも入れない限りは頑なに微動だにしない。
生きているらしい(、、、)マネキンだ。
女の子(高校生ぐらい)がお金を入れると歯車機械のようにほんの少し動きほんの少し変化する。
額が少なかったためなのかと思ってしまう。
次に近くで清掃をしている男の人(老人)がお金を入れると今度は念入りに握手をする。
祈るような仕種だ。
人間はお金を与えられるとこんなにも人間らしい(親しみを表わし、やさしい表情になり、美しい顔になり、生き生きとした目になり、からだの格好がしっかりとした)結果になるのかと教えられたような気がし、胸の内から少しばかり温かいものがこみあげてきた。
 ほんの数十秒のできごとだが、何かを覚らせてしまうパフォーマンス。
説明を要しないで、説明不可能なことがらを表現していた。
子供に見せたいと思いながら改札を通った。
('99.1.23)

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ひょいとバッグから紙クリップを出すか

7e0224ae 本を切り離して読む
最近は、読んで捨ててもよい本は、区切りのいいところで切り離して
気の向いた読みやすい部分から読んでいき、その都度捨てて片づけることにしている。
興味の赴くまま、優先順位の高いものから、と自分では思っているが、そうなっていないとも言えそうだ。
それは少し神経質なやり方だと思うが、随分前に購入した本が未だに読まれずにあるのを解決する一つの方法だと思っている。
因みに、捨てられない本は、マニュアル、事典、ガイドブックの類。

紙ばさみで頁を押さえて読む
一方、切り離して読まない本は、頁を見開いた状態を保って読むのに骨が折れる。
これも大袈裟な言い方になるが、集中するところは手ではなく、眼と頭であるべきだ。
そんなことをふと思って、ある時期、紙ばさみを使っていた。
初めは、磁石付きのバインダー様のもの。
次に、洗濯ばさみを二つ間をおいて板に取り付けたもの。
そのうち、両頁を同時に操作できるように、洗濯ばさみの押下点同士をレバーでルースに連結した。
しかしながら、頁を繰ることが余計な操作を伴い、却って当初の意図に反することとなった。
速く読みさえすれば何も気にかけることはない。

だれも神経質ではなかった
近くの図書館に行った折に、学生や社会人たちが机に向かっているフロアーで、
そのように紙ばさみを使っている人はいないかと見渡したことが何回かあるが、
いまだに発見していない。
そのような装備をしてくるような人はいないということか。
そんなころ、東急ハンズで一個84円のクリップを見つけた。
どうやらこれが私の最終結論になりそうだ。
速く読めないときはこのクリップを使おう。

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