返事
 
 
Yさんの話は前から聞いていた

ゆうべテレビをつけたら

きょう中国へ帰ると言っていた

Yさんは中国に残された女の人

外僑養老院の居間で

両手を組んで憩っていたーー

ここに残っている人はだれでも

祖国に帰りたいと思っている

日本のことを忘れたわけではない

尋ね当てた肉親に拒まれ

玄関の戸を閉めて帰るとき

母親の墓の隣にも

線香を分けるとき

Yさんの胸に去来した孤独を

対岸のけしきを見るように

細かくていねいに写していた

Yさんはもう来ることはない

ときどきたよりをしてくださいね

これはYさんへのあいさつである
 
              ('87.2.11)
 
 

  荒川線へ
 
 
始発の駅に着いたのは

午後四時過ぎであった

黄色い車両が

目の前に現われるまで

私はその男の存在に

気がつかなかった

男は

四人の子供たちの

親しい友だちとして

私の目に映った

長く細っそりした指で

鳴り止んだベルを差し

おどけてみせる素振りが

不思議に胸を打つので

その言動の奥を見つめていた

子供の目を持つ大人

自分によって他人を養う人

四季を通じて吹く

風のような存在ーー

男がいなくなったあと

チンチンという音は

なぜか寂しく聴こえた
 
              ('86.4.6))

 

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  追伸
 
 
夜明けです 窓の外で 水の流れ落ちる音がしています わたしの左脚の先の方で 寝息が聞こえています

けさがた 看護婦さんのささやき声で 目を覚ましました 手術後の経過が変わっていて 難儀している様子でした

右脚の先のベッドの人は いつものように帰宅しました あさっての夕方戻ってきます そのころわたしはいません やがてわたしは退院します

流しの方から ひとりの物音が聞こえます そして少しずつ起き出します 大部屋の病室は いつもにぎやかになります

電車の走る音が聞こえます 隣の病室で 窓をあける音がします 廊下の向こうから 赤ん坊の泣き声が聞こえます
 
              ('87.6.13)
 
 
  花火
 
 
物語が疾風のように

過ぎていったと感じたとき

それまで空のかなたで

間欠的に響いていた音楽が

突然

体内の律動がくずれ去るように

立て続けに鳴った



三階のベランダにある

手すりに寄り掛かった人影が

わたしの背後にある

空の一隅に目をやっている

坂を上るわたしは

それまで見たことのない

花火の輝きを脳裏に浮かべる



手のひらのにおいに、

まだつかまれていない

それに付け加えるべき実体を

探っている——

大気の中に抽象化された

恐怖と不安をすべて

一度宇宙へなげうつ

              ('86.8.2)
 

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  コロニー
 
 
手元に一枚のはがきがある
裏に故郷のとある民家が
トタン屋根の寺を後ろに
斜めから写されている
はがきの四辺はもう一つの
民家の窓枠になっていて
庇の下に空がのぞかれる


あて名は私になっていて 下方に
帰省したあと知らせた安着への
返事がしたためられている
私の生家は写真にある所から
遠くはなく 五年程前
寺の縁側で学生時代の友達と
アイスクリームを食べていた
友達が帰る車の中で
マーラーの第九交響曲を聴いた


母は土産品店に並べられた
一組の観光写真を買い
そのうちの一枚を私に当てた
私の故郷は山あいの斜面に
五つばかりのコロニーを成しており
子供のころ それらを
さまざまな人たちと歩いた


写真は
母の美のセンスを語っているようで
それを読み取る必要を
知るようになったのは
うかつにも最近のことである
母はひとりで
私の故郷で暮らしている
それは私を故郷につなぎ止める
たった一つの記号かも知れない
 
              ('86.8.13)
 

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A VOLUME OF POETRY FOR SALE

辰巳渚の『「フロー型発想」で軽やかに生きる』(Webページ)を読んだ。「インターネットによって、従来の世の中のシステムに頼らずに、直接に個々人のあいだで情報や物をやりとりすることが可能になってきました」という箇所にアンダーラインを引いた。

私の第二詩集『単位』(昭和61年、ワニ・プロダクション刊、84頁、定価1,100円)もやりとりの対象になるのだろうか。

Photo_2

収録作品は以下の通り。

地球から見た夜の宇宙
 ヒロシマ・コレクション
  墓碑銘
   爆心地より
    桜
     囲いの内に
      入り海
       戯
        他者の境域
         寺院
          偶感
           若人の好日
            女たち
             流れ
              秋の案内人
               泉
                気球
                見送り
                ハーフおじさん
               でく
              絶景
             失認
            シンガポール
           たより
          異邦の橋
         自然公園
        はためく
       放浪
      一夜
     春夜
    消息
   空な朝
  最期の夜
 印象
私信

跋 一色真理

送料(390円)・経費(290円)を加えてのお申し込みを、当ブログの右上にあります「メール送信」からお寄せください。

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  雪の宴
 
 
わずかでもお礼をしたいと私は考え、彼女は
いろいろな役割で忙しい自分の生活を出来る
だけ大切に詩集をつくろうと思った。なにぶ
ん前に勤めていた会社の主が亡くなり、しか
もその会社の整理に追われていたところなの
で、依頼主の仕事のための時間のやりくりと
いうことが当然必要になる。いつまで経って
も味わいの尽きぬ本(作品が優れていれば読
者はすすんで買う。作品は読者の手にわたっ
て生きるため)、過剰の装いを排したカバー
なしの上製本。独自なものとするために形状
を変形にし、三つの大きさの異なる活字で組
まれた版構成、というのが大まかな計画で、
発行所は表紙の写真の出来栄えに心を配って
いくつかのつてを経て定めた。自費出版とい
う少ない予算の中から何をおいても新鮮で、
親しみやすく、持ちの良いものにしようと決
めたので、仕上げは全く困難となり、また彼
女もだいぶ忙しかったため、いつ出来上がる
か分からなかったが、彼女が必らず出すと言
ってくれたので、あまり心配しなくなったの
である。
 
              ('86.7.14)
 

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  Y氏邸
 
 
低い梁を二つくぐった先にY氏邸がある――。
冬のまだ抜け切らぬ木立の中、子供たちに教
えられたY氏邸は、ハクモクレンの木とシナ
レンギョウの花が庭を飾っている。だれもが、
ここをY氏邸だとは思っていなかったと言う。
――Y氏邸は、箱のような形をして、それが
かすかな芳香を放つので、それを見上げるだ
けで通り過ぎていたと。
 
玄関を入るとY夫人が姿を現わす。少し後れ
てY氏が出てくる。Y氏とY夫人は同郷であ
るから、互いの気配だけを感じて暮らしてい
る。母から聞いたY氏の面影と、Y氏が語る
幼時の私とがつながったとき、Y氏邸は私に
とって強い意味を持つようになった。二度目
に訪ねたとき、寡黙な気色に心を配ってY夫
人は不愛想をわびた。Y氏たちのことが頭に
浮かんでくる度、私は、人の生活から新しい
何ものかを引き出したくなる。人間はこれま
で、別の何かであろうとしてさまざまな貌を
装ってきた。
 
              ('86.4.6)
 

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  水景
 
 
舟の上に男が六人
それぞれが一つの舟に乗る
丈より高い針のようなさおを立て
細長い板のような舟を漕ぐ
四人の向く先に一人が相対し
残る一人はこちらに背を見せる
均整の取れた体躯のどれもが
裸のような色に包まれる
 
足もとに鳥が一羽
一番近くの男を見上げる
人物はみなかさをさし
画面は陰影が施され
雨が降っているかわからない
何か話している――
のかそれもわからない
 
中国の水辺には
遠近を狂わせる
何かがあって
異邦人たちは
よく奇妙な
画を描いている
 
              ('86.3.30)
 
 
  痕跡
 
 
海から上がると街を目指して歩いた 車
道を渡ったホテルの前で 身体を洗って
いる女を見掛けた サーフボードを立て
た家の隣に 壊され掛かった家を見つけ
た 板張りの床は ひそやかな気配をそ
の上に載せていた 居間に捨てられた家
族の持ち物の中に 旅先で書かれたはが
きがあった 台所に残された流しとレン
ジは 魂を抜かれた肉体のように思われ
た 外国製のピアノと錆びた浴槽は ど
れも旧い様式を具え 今でも不意の客を
迎えるしつらえのように思われた 壁で
仕切られた空間のそこここに さまざま
な生活の所作が覗かれたが それらをあ
かすものだけが今はどこか遠くに消えて
いた 私はそのころ 生活を一新するた
めの場所を探していた
 
              ('86.9.10)
 
 
  春月
 
 
浅い眠りから目覚めると
カーテンの向こうに
まぶしく光る陽がある
 
月が変わった朝
それでも日本の裏側は
まだ冬にある朝
 
右側は澄みきった空
左側はどんよりとした空
その危うい歩廊を渡った
 
人びとが眠る間に
周りのルールは変わる
午前七時の三月の空
 
              ('86.3.1)
 
 
  記音
 
 
夜明け近く 二度
悲鳴のような音を聞いた
モーツァルトが薄明かりで
クラリネットをいじっている
長い沈黙を打ち破ったあと
それは急にやんでしまう
 
「悲鳴」は君には聞こえなかっただろう
とだれかが言う
人に道を教えることとは違うからね
ひとはいつでも
生に突き動かされていることを
その記音に確かめてみる
 
              ('86.2.15)
 
 
  遅れて来た立ち合い人
 
 
君がもち菓子のたくさん入ったビニール袋を
胸に抱えてチキン・ピラフを食べているぼく
に向かってこれは何個用意すればよいのでし
ょうかと尋ねるものだからぼくは何と答えて
よいのかわからなくてあとでほしかったコー
ヒーをそのとき注文したんだ 君はとっさに
ぼくがさきほどから来ている客であることに
気づいて(ほんとは我に返って)はいと答え
ていた マスターの声や姿は店名だけを手が
かりにして来たぼくには覚えがないもので君
の人柄など想像していたよりつつましく古風
でその手ごたえがさわやかに思われていた
住宅の並ぶ通りをこの町にしばらく滞在した
ひとりの女性アスリートが幻のように駆けて
ゆくのが見える
 
人には隠されたドラマとそれを観る客が必要
なことをこの年齢になってようやくうけ入れ
られるようになった ドラマが提示されそれ
を現実のことのように思ったり架空のことと
みなしたりするのは作者のまわりの人間たち
だけで かれらは知らぬうちにそのドラマに
立ち合わされていることに気づいていない
君の見た例のアスリートの苦悩と焦燥も今は
長い時間のかなたに消えてしまっている 時
というやつがすべての存在をないがしろにし
てゆくけれども人間の記憶だけがそれを辛う
じて引き止めることができるらしい 人間の
意識は無数のドラマに埋もれていることをあ
の立ち合い人たちは気づいているだろうか
ぼくは今ごろになってドラマの作法について
習い始めることにしたんだ 今度君に会った
ときはその収穫のいくつかを見せようと思っ
ている
 
スポーツ誌で見たアスリートは二年後に米国
から戻ってくると言っていた 彼女が見よう
としたものは自分を取り巻く世界のありよう
じゃないだろうか 移り変わる世界の広がり
のなかで自分をつなぎ止めているものに出合
うこと それが彼女の胸にいつのころからか
はぐくまれていったんだ そんなことを君は
決して言わなかったけれど君と彼女がほぼ同
年齢であることを彼女が残していったいくつ
かのことばと目の前にいる君のもの静かな振
る舞いとから推し量ることができる ぼくは
その目に見えない符合のような瞬間に立ち合
うことができなかったけれど君を通して一つ
のことがらのさまざまなありようを思い描く
ことができる それは新しいものに出合う前
のおそれに似たためらいを伴っている
 
              ('86.5.30)
 
 
  泉のように
 
 
口から出るものが
血であったりするから
どんな色をしていたか
おまえにだけ
言っておくよ
 
ことばの上では
愛しているとか
そうではないとか
分からないことを
言っているけど
 
いつも
自分のことしか考えないやつ
すぐに
他人の血を見たがるやつ
――そんなやつとは
つきあいたくないね
 
たまに
他人の世話を焼くやつ
いつまでも
本心を明かさないやつ
そんなやつとも
つきあいたくないね
 
水道の蛇口
のように
出るものは
水しかない
というように
なりたいね
 
              ('86.5.12)
 
 
  鳥、子供の声
 
 
ボールがカーブミラーを転がり出で、少年が
石段に向かって黄色くなったボールをもてあ
そんでいる。垣根の内にもう一人少年がいて、
さきほどの少年と模様の付いたボールでこと
ばをかわしている。ボールはけリ合いっこの
主人公で、車道の端に立ちすくんでいたりす
る。少年の喚声だけが微風にそよぐ住宅地に
響いている。
 
車の屋根の上に取りすました猫がいて、車は
動き出さずに猫だけが車の遊び相手――。人
間たちの視線は奔出する水のように素っ気な
いが、人間は自然の服従者ではないと、ホー
ムに群がる鳥たちを見ていて思う。柑橘果を
かじって、土曜の朝によどんだ町並みを修飾
する。
 
              ('86.3.29)
 

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